ハロプロ の検索結果:

更新予定

…性が現れるのか。 ④ハロプロ楽曲大賞 Buono!含め、ベリキュー中心にはなってしまうのだろう。やはり、Buono!の曲のよさが目立つ。 ⑤ハロプロ重大ニュース これは年末に。 ⑥ハロプロを理詰めで肯定する(対他アイドル) どうも他のアイドルと比較して、ハロプロが素晴らしいという言説を紡がなければいけない気がする。不毛な議論でもないよりあったほうがいい。議論がないと、アイドルそのものがいなくなってしまう。ぼくはどうしてもAKBが好きになれない。その好きになれなさ、そしてハロプ…

ヲタ不足

…かまずいね。 紅白にハロプロ枠がついになくなったことが話題になってますが、よくもこれまで「ラブマ」の勢いで連続出場できていたものだと思います。昨年ベリキューが出れたのがギリギリのタイミングだったわけで、まあ今回の不出場はいたしかたないかと。 紅白と言えば、昔なんとかハガキが手に入らないか考えてましたが、相場が5〜6万はしていた気がする。そのくせ好きな歌手の出てくる時間は限られているんだから、かなりお高い。だけども年末の非日常性の値段としては納得がいくものだった。結局、観に行っ…

前提:アイドルの舞台

…である。 これまで、ハロプロの主要メンバーが絡んだ舞台では、宝塚とのコラボレーションを除けば、ほとんど以上のような形式において作られたはずだ。そのことは舞台を、ただヲタを楽しませ、リピーターを生み出すというだけでなく、現実⇔虚構という境界を曖昧にしていく、現代の「リアル」に対する問題提起的な作品にした。 今回のゲキハロ「携帯小説家」では、℃-uteというアイドルを「演じている」彼女達が、携帯小説家を演じ、その中で小説内のキャラクターも演じる、という少なくとも三重の構造をとって…

写真集は萌えと親和性が低い(2)

…。世界でたった1冊のハロプロ・コンサート写真集!』と公式ページでも紹介があるように、100枚の写真の中から24枚を選び、順番を考え、写真集を構成していく。ヲタの主体性、能動性が発揮されるこの写真集は、さながらマンガにおける二次創作のように、アイドルが持つ世界観を生かすような写真を選び並べ、自分の好みのものにしていくその過程をまずは楽しみ、そして完成した作品を楽しむものだ。ただ惜しむらくは、ライブ写真集は、アイドルの身体性を比較的感じさせてしまうものだ。汗や、しわが写ってしまう…

写真集は萌えと親和性が低い

…002年あたりから、ハロプロのメンバーが写真集を出すようになって、それもまあ、水着ショットを含むものが当然のように売られるようになって、僕は当時大きな違和感を感じたことを記憶している。水着なんか着なくても十分魅力的だ、というよりは、水着を着てはいけない、というような感覚か。それまで、モーニング娘。は明らかに物語で勝負していた。例えば「うたばん」が面白かった時代というのが、モーニング娘。の物語性が力を持っていた時期だと言える。 それに対して、アイドルの身体性を露わにして我々に提…

ハロプロ写真集について考える

モーニング娘。学会で話題になったことをまとめてみたい。

場のルールをどのように形成すべきなのか(1)

…こりうる。おととし、ハロプロパーティで富山や奈良や豊田に行ったが、大体そういう会場の場合、地方でチケットがかなり出回っているので、その地方の家族連れが運悪く良席の位置を占めてしまったりする。で、ヲタの狂乱とステージの見えづらさとで、ライブの序盤でもう参ってしまって、ロビーに退避なんてのも目にしないではなかった。 ライブの良席でもし、自分の席の後ろが、明らかに自分が立ったら困るであろう親子だったらどうするか。僕は、そこで座って見るなどという、ほとんど偽善的とも思えるパフォーマン…

娘。学会レジュメ

…ように錯覚させる」 ハロプロの場合 【本質⇔表層】の両端 本質:歌手化(松浦亜弥) 表層:エロ化(水着写真集) 【リアル⇔非リアル】の両端 リアル:アスリート化(ガッタス) 非リアル:マンガ・アニメ化(月島きらり) しかし、これはあくまで個々の現象について点で捉えたもの →各アイドル現象が多様な現れ方をしていけば、ある広がりをもった平面を形成する (例)ガッタスがフットサルの試合を終え、メンバーがマイクを持って話をする時、彼女達の「キャラ」が押し出され、ニックネームで呼ぶべき…

けなげななっきぃ

…が乗りやすい、だけどハロプロじゃない曲で、ライブ前の雰囲気を統一していこうというような意図ではないだろうか。悪くないアイデアだと思う。 真野恵里菜のオープニングアクト。まあ、いつも通りだなあ。真野の売り方ってどうなんだろうと考えてしまう。Berryz工房の「あななし」や℃-uteの「まっさら」のように、曲のよさ、勢いでヲタを乗せてしまうような売り方ではない。曲が好きだからなんとなくグループも好きになってしまう、というベクトルが生じにくい。ほぼ、真野の存在だけで売っていかなけれ…

複相化戦略

…ることが問題となる。ハロプロで言えば、松浦亜弥が最も典型的であろうと思われる。 2.表層 主に視覚を中心として、その現象が表層的に受け取られるもの。写真や映像、音声に、理性的な判断なしに「快」の感覚を呼び起こすもの。エロいものが代表的。ハロプロで言えば、水着写真集はここに分類できる。 3.リアル 最近アスリートがアイドル化しているのは「リアリティ」を求めてのことであろう。ハロプロで言えば、例えばガッタス(アイドルのアスリート化)。 4.非リアル もっともらしくない、そこにいる…

ユニット競演、名古屋ハロ紺

…ニットを見たときに、ハロプロも決して捨てたもんではない、はずなのに、空き時間にずっと読んでた「マブ論」では、宇多丸氏がPerfumePerfumeうるさいもんだから、ちょっとしゃくにさわったのだ。 以下、箇条書き的に感想。 ・のっちは、「回り車」でカラコロまわるハムスターみたいにかわいい。年不相応に顔がロリでミニスカートなのがなんだかもう狂いをもよおす。 ・手毬歌が、あの衣装で、ライブでやったときに、想像以上にいい。神宮花火もこの衣装で、と思った。 ・パパンケーキ。月島きらり…

アイドルが何を歌うか

… そこらへんはまさにハロプロの王道の手法だ。「ラブマ」における「恋のインフレーション」から、℃-ute「わっきゃない(Z)」における「相乗効果でライバルいっぱい ストップ高」まで。本人たちがよく分かっていない言葉を歌わせる、そのことがアイドル世界を多層的にする。解釈を一定にしない。様々な視点からメタにベタに語る対象にさせる。 だから、何を歌うかということに関しては、僕は「恋」ではない何かを歌えばよいと思う。恋を歌われると、恋が彼女達にとって自然なことであるがゆえに、彼女たちが…

…8月14日に、秋葉原で「モーニング娘。学会」というのをやった。ほとんどモーニング娘。の話は出なかったんじゃないかと思うが、ハロプロだとか、アイドルだとか、サブカルだとか、そこらへんについてあつい議論が交わされた。「学会」という名に恥じない密度だったなあ。それを今年もやろうかどうしようかという話。 詳細と言うか実施案はこちら ⇒ http://d.hatena.ne.jp/musumelounge/20080706 まだなっきぃに会えないから、今のうちにいろいろ本読んでおこう。

上半期参戦記録

…C列 1月27日夜 ハロプロ 横浜アリーナ アリーナC5列 2月17日夜 音楽ガッタス 日本青年館 1階I列 2月22日 ドラリオン(モーニング娘。タッチ会) 原宿新ビッグトップ F11列 2月24日1回目 Buono!イベ 東京厚生年金会館 3月23日1回目 ℃-uteイベ 東京厚生年金会館 3月23日2回目 ℃-uteイベ 東京厚生年金会館 3月29日夜 ハロプロ新人公演 横浜BLITZ 170番台 3月30日昼 モーニング娘。 仙台サンプラザ 1階RゾーンK列 4月6日…

場のルールはどのように形成されるのか(2)

…、と主張するケースはハロプロではほとんどなかったろう(MC中に身振り手振りで控えめに主張することはあると思うけど)。実際に現場でアイドルがあるヲタを叱責することは難しい、それが他のヲタにも水を差してしまうし、どうしてもアイドルへの印象を悪くしてしまうのだから。 上記3つの方向から場のルールが形成されるとして、アイドルがどの程度権威を持っているか、つまりヲタからの目線が「上から下」なのか、ある程度「下から上」なのかで現場の秩序が決まってくるだろう。どうしてもマイナーなアイドルで…

ヲタ芸再考(4)

4.ヲタ芸の死 ハロプロの現場である程度確立したヲタ芸の型は、主に秋葉原で活動するようなマイナーなアイドルに対する応援の文化としていつの間にか定着したらしい。 気がつけば、昨年、今年と、メディアで取り上げられるヲタ芸というものが、もはやハロプロとは何の関係もない現場におけるものになっている。フジ深夜「コンバット」における「オバ芸」にしても、NHK教育で2007年5月に放送された「一期一会 キミにききたい!」にしても、僕からすればなんだかずいぶんヲタ芸が遠いものになったな、とい…

ヲタ芸再考(3)

…タ芸の衰退 ヲタ芸がハロプロの現場において見られなくなるのは2005年だったか。僕は2005年10月16日の相模大野の後藤真希のコンサートで、はっきりとヲタ芸が打たれなくなっていることを感じた。今もって、僕はハロプロ現場におけるヲタ芸の衰退の理由をうまくつかめないでいる。ただ、原因となりそうなことがいくつか思い当たる。 ①マナー意識 当然のことながらヲタ芸は常にマナーという観点から非難の対象だった。OADもロマンスも隣の人にひじが当たる危険な技だ。隣がヲタ芸師だとたまったもの…

ヲタ芸再考(2)

…盛を考えるのに重要なハロプロの流れとして、2002年以降のライブの細分化という事象を無視することはできない。2001年まではハロー!プロジェクト=モーニング娘。のこと、と言ってもいいほど、ほかのユニットがメインになってツアーが行われることはほとんどなかったように思う。2002年春に松浦亜弥がソロツアーをはじめ、その後2003年に確か後藤真希・藤本美貴・メロン記念日*1がソロツアーをはじめた。ここにおいて「DD」という語・存在が現れる。「DD=だれでもだいすき」、要は「一番好き…

おいも屋本舗に行って来た(2回目)

…みたいなのもあり。 ハロプロ系は相変わらずほとんど置いていないが、りしゃこの写真集と、なぜか「寝る子は℃-ute」DVDと、あと「LALALA幸せの歌」が大量に置いてあった。 さて、店内のDVDやら雑誌をしつこく見回る。U15のアイドルは年齢がひとつの価値基準であって、必ずといっていいほど名前と年齢がセットになって表示される。となるとどうしても、何歳まで下がっていくか探すことになるのだが、最も低くて4歳くらいだろうか。6歳で水着のジャケットのDVDを見たが、かけらもエロくない…

お腹がすくアイドル

…て気がついたのだが、ハロプロアイドルはよくお腹がすき、よく食べる。歌詞の中で。 お腹が減った時だけ 不機嫌さ 『我ら!Berryz仮面』 食欲すごく落ちてる ケーキが2個っきゃ入んない こんなに華奢な私を ね 包み込んでよ ね いいでしょ? 『付き合っているのに片思い』 食い気の方が先だけど… 女磨きはサボらない どんなにお腹が減った日も あたしゃテンション上げるのよ 『ドドンガドン音頭』 毎日食べる 毎日眠る 毎日日記をつける 『僕らの輝き』 お腹が減った朝も 勉強した夜も…

ケータイ小説「過誤・愛」

…局で「ハッスル」と「ハロプロ」をまともに扱おうとしないのはその証左ではないのか。 「リストカット」は「ガチ」である。ケータイ小説(僕はかけらも読んだことがない)で過激な描写がされるというのは、「中絶」やら「自殺」やらが「ヤラセ」のできない「ガチ」な出来事であることによって、それをネタ化、相対化するような精神的な志向性が生まれずに済むから、「だまされずに感動する」ことが容易に可能になるからだと思う。しかし、そんな風に「ガチ」ばかり盛り込んだ小説にはリアリティがない。日常生活はそ…

モーニング娘。コンサートツアー2008春〜シングル大全集!!〜

…る。 アンコールの2曲、Tシャツ姿で出てきた娘。達は一様に胸が小さく見えた。ここに救いがある。僕はライブ中にハロプロのスローガンを勝手に考えた。「夢は大きく 胸は小さく」。ハロプロは物語で勝負する集団だ。胸が大きいと夢の広がりを貧困にする。僕らの想像力を阻害する。胸が小さかったら、僕らが大きくする余地が残るじゃないか。そこにアイドルヲタの夢があると言っていい。ジュンジュンのへたくそな日本語やら、久住の過剰な笑顔みたいな、夢のかけらを集めたらたいそうなものになりそうな気はする。

遍在する自己

ひょんなことから、ハロプロ系総合サイト「娘。楽宴」の掲示板に、自分の名前があることに気づく。 1月18日付、ハロモニの視聴率に関して書いた日記が勝手にコピペされて掲示板へのコメントかのようになっている。ちゃんと名前も「斧屋」になっている。 2ヶ月も前のことだから、いまさら「これ僕じゃないです」てなことを言ってもしょうがないのだが、なんとも釈然としない。しかもそれに対して好意的なレスもあれば、その掲示板を観測している掲示板のほうで叩かれてもいる。これ、一体誰(何)とコミュニケー…

③ジュニアアイドルしほの涼

…う趣味も見てとれる。ハロプロエッグ能登有沙(のっち)のブログにおいても表明されるような「かわいい女の子」が好きという趣味。 基本的に「丈の足りていない」衣装で見せパンを存分に見せつけるDVDを何も知らない振りして撮られているのではなく、どうですか、こういうのが萌えますか、というセルフプロデュース。かわいいものが好きだからこそ、自分がかわいく撮られるのもいい。自分が楽しんでいるアイドルは輝く。僕は去年ジュニアアイドルの過激なエロ化に関していろいろ考えたが、しほの涼やら仲村みうあ…

①AKB48「悪魔の握手会」

…動画が、結局のところハロプロを相対化してしまうからである。(実際AKBとハローは共通する部分が多いからこそ相対化される。握手会にしても、握手のためにCDを買わせることにしても。)当然件の動画は絶対の「真実」でもなんでもない。のだが、あたかもAKB以外の他のアイドルの現場はこうした「真実」を隠蔽してきれいごととして握手会をやっているのではないか、という批判として機能してしまう可能性が腹立たしいのだ。(はじめてお絵かきしてみた↓) それが本意でないとしても、「他のアイドル握手会は…

ガッタス紺17夜

…てもここで思うのは、ハロプロのアイデンティティはアンチおっぱいっていうことでいいんじゃないのか、ということだ。「心の谷間」を歌う真野と能登には、身体的な谷間など断固不要なのだ。 ただ、一番惚れたのは吉澤のかっこよさ。もはや完全に男。ジャニーズか、それとも宝塚か。立ち居振舞いが女性アイドルじゃない。そしてそれがかっこよすぎる。格の違いを見せつけられた。そこに石川が絡んでくるいしよしのカップリングは鉄板だ。会場の女性ヲタはいしよしの絡みを見に来ているのだろう。武藤、仙石はおもしろ…

幼稚演じ。

17日のガッタス紺がひさびさの現場だ。 いきおいで22日のドラリオンも行ってみたい。目的はタッチ会だ。 ところで、ドアップにあがっているセカンドライフ動画が気になる。セカンドライフにハロプロは参入すべきではないと思っている。なぜだかはよく説明できない。

イントロダクション

ハロプロの顔見せ、という点では、これが初詣なんだと思う。 さあ、今年はどれに行きますか?ということ。 一人一人の出番が少ないのは仕方がなくて、顔見せの集いだと思えばよい。実際ハロプロがここまで大きくなったことへの感慨はある。最後のMCでなっちの目が潤むのも我々の共有できる感覚としてある。明日でデビュー10周年となる娘。を始めとしたハローのメンバーがこんなにも多様性を持った広がりを見せていること、それが確認できただけでも十分に横アリに行く価値があるし、逆に言えばそれを目的として…

アイドルの固有名詞

…実存的問題として。 ハロプロのメンバーは基本的に本名をそのまま使っていると認識している。田中れいなとかアヤカとか、多少の例外はあるにしても、芸名を使っているメンバーはいないと認識しているが、これは正しかったろうか。もともと一般人がアイドルになる過程を見せるハロプロが、芸名を使えないのは致し方のないことであるが、これって結構辛いことなんだろうと思う。 固有名詞としての人名は、通常その存在に貼り付いている。例えば僕が「斧屋」という人名だったとして、それは僕という存在と違和感なくく…

「わたしたち消費」とハロプロの展望

わたしたち消費―カーニヴァル化する社会の巨大ビジネス (幻冬舎新書)作者: 鈴木謙介,電通消費者研究センター出版社/メーカー: 幻冬舎発売日: 2007/11/01メディア: 新書購入: 4人 クリック: 69回この商品を含むブログ (52件) を見る「モーニング娘。学会」の方に書きました。↓こちらをお読みください。 http://d.hatena.ne.jp/musumelounge/20080107/1199731051 ℃-uteヲタは結構「わたしたち意識」を持っている…