イントロダクション

ハロプロの顔見せ、という点では、これが初詣なんだと思う。
さあ、今年はどれに行きますか?ということ。
一人一人の出番が少ないのは仕方がなくて、顔見せの集いだと思えばよい。実際ハロプロがここまで大きくなったことへの感慨はある。最後のMCでなっちの目が潤むのも我々の共有できる感覚としてある。明日でデビュー10周年となる娘。を始めとしたハローのメンバーがこんなにも多様性を持った広がりを見せていること、それが確認できただけでも十分に横アリに行く価値があるし、逆に言えばそれを目的として行くべきであって、一人一人をどうこういうようなライブではない。
で、じゃあ今年どこに行こうかなあ。
音楽ガッタスも、娘。も、松浦も、美勇伝、メロンあたりも1回は見たい。でもまあ℃-ute中心でまわることは間違いなさそう。舞台もそれなりに見たい。スケジューリングを完璧にして、昨年の40という数字を下回らずに済むかどうか。


さて、前田有紀のことを語らなくてはならない。
そこに数々の引っかかりを見出すことができる。それがハローらしさであるのだが、それの確認をしておきたい。
まずもちろん、なぜ演歌歌手が出てくるのか、という強烈さは、今もって色褪せない。前後の曲とのギャップの大きさに僕は慣れることができない。
さらに、「相愛太鼓」は確かに隠喩の曲である。あからさますぎて隠喩と言っていいものか、と思うほどだが、そんなエロティックな歌詞が演歌の調子に合わせて、「ドンドコドンドン」という擬音となったとき、即座に「ゆきどん!」という合いの手を入れてしまうヲタのイマジネーション。エルダ紺を経て、今夜のライブではもはやそれがヲタの共通認識として成り立っているという対応能力。こうしたことは前にも書いたのだが、ヲタの愛情と言ってよい。そのままだとかわいそうだから、こちらから何かしてあげないといけないという点において、ゆきどんも立派なアイドルなのかも。
そんな形でネタとして消費されるべき前田有紀が「ルノアールのように」とか歌っちゃうんだから、もうわけがわからなくてとりあえずそのまま認めます、ということになる。どっからどう見ればいいの?ということがはちゃめちゃにされる感覚ってのは素晴らしい。
その点で言えば、美勇伝のじゃじゃ馬も同様である。ハロ紺で親子連れもいるなかではみ出しちゃっている状況は、ケロロ軍曹目当てでハッスルマニアに来た子供がインリン様を見てしまうという構図。要は誰が何をどう見るのかということが複雑雑多に絡み合って、だけどそういう総体を全てヲタは許容し楽しんでしまうということ。ハロ紺の楽しさというのはそこにあるのだと思う。


どのメンバーの曲もそれぞれの色があっていいライブだった、中澤姐さんの曲の歌詞がどうしようもないことを除いて。なっきぃを近くで見るのは、またの機会ということで。