お腹がすくアイドル

ベリキュー合紺で改めて気がついたのだが、ハロプロアイドルはよくお腹がすき、よく食べる。歌詞の中で。



お腹が減った時だけ
不機嫌さ
『我ら!Berryz仮面



食欲すごく落ちてる
ケーキが2個っきゃ入んない
こんなに華奢な私を
ね 包み込んでよ
ね いいでしょ?
『付き合っているのに片思い』



食い気の方が先だけど…
女磨きはサボらない


どんなにお腹が減った日も
あたしゃテンション上げるのよ
『ドドンガドン音頭』



毎日食べる 毎日眠る
毎日日記をつける
僕らの輝き



お腹が減った朝も
勉強した夜も
どれもこれも自分の青春
青春
『JUMP』



悲しい日はお腹いっぱい食べればいい
たまにヘコんだら昼まで寝てればいい
『Kiss! Kiss! Kiss!』



こうした形で「食欲」にクローズアップするということが、我々ヲタに対してどのような効果をもたらすか、ということは簡単である。「恋愛欲」「性欲」を相対化する効果、であると思われる。(その相対化が最も典型的に表れるのは、℃-uteアルバム曲の「スイーツ →→→ ライブ」であろう。)ああ、まだ恋愛のみに没頭する年齢ではないのだ、または、少なくとも性的に穢れていないのだと我々に思わせる効果。アイドルとヲタとの関係が必ずしも「擬似恋愛」というわけではないにせよ、これはヲタにとっては救いである、のではないか?
常々思うことだが、アイドル歌謡で恋愛を歌う必要なんてあるんだろうか。恋愛の歌詞中の「あなた」に自分を代入して妄想する行為と、恋愛にすれていない歌詞世界の少女にただ想いを寄せる行為、これは単にアイドルイメージ、ヲタのスタンスの違いということかもしれないが、僕にとってはアイドルが恋愛を歌うことはアイドルイメージにとってプラスではないのだ。
以前書いたが、アイドルが信用されなくなった今、女性アスリートがアイドル化している。(http://d.hatena.ne.jp/onoya/20080309/1205083825
「このような形でスポーツにひたむきになって恋愛をしないアイドル、というものが創り上げられればそれが一番健全に思われるが、アイドルを恋愛から遠ざける手法は他にもあってよい。それがたとえばオタク趣味(しょこたん)であったり、同性愛(かんにゃ)であったりするのだろう。」


アイドルを恋愛から遠ざける手法の一つとしての食欲、ということである。例えばポッシボーの「主食=GOHANの唄」などは典型的な例だと思われる。
これは我々ヲタにとって救いであり、またアイドルに対しての、アイドルイメージを劣化させないための倫理なのだと言うと聞こえがよすぎるだろうか。
僕は辻希美にいつまでも八段アイスにだけ興味のあるアイドルでいてほしかったけれど、でも彼女は本当にあの報道が起こるまで、見事にアイドルイメージを守り通せたのだった。だからこそ、突然、電撃的、ということにはなってしまうのだけど。