モーニング娘。コンサートツアー2008春〜シングル大全集!!〜

仙台昼公演に行ってきた。
かっこいいモーニング娘。が見られる。
ださいモーニング娘。があまり見られない。これは残念なことだ。
「シングル大全集」という企画における長所と短所。確かにこの10年という節目に「モーコー」「真夏の光線」とか、懐かしい曲の数々を歌う意味はあったと思う。もはや僕は全シングル曲をリリース順に列挙することができない。そんな歴史を否応なく感じさせて感慨に浸らせてくれること。これは間違いなく一度は見るべきライブのように思われる。だが同時に、複数回見るべきライブかと問われるとあやしい。全曲を詰め込まなければならないという窮屈さはやはり感じる。メドレー部分はだいぶ忙しい印象だ。いつもはあるアルバム曲ならではのアクセントもない。だからそのライブ固有の色合いに欠ける気がしてしまうのだ。
さて、娘。メンバーに目を向けてみると、やはり高橋の突出した感じは否めない。歌唱力、表現力、かっこいいのだ。それがいいことなのかどうかがあやしい。それはもはやアイドルの長所ではない。僕は高橋は舞台芸術を仕事の中心にすべきだと思う。夏のミュージカルを機に娘。から抜けることも悪いことではないと思うのだが。そうした高橋の雰囲気をそのままに、娘。は全体としてカッコよすぎる。例えばレインボーピンクのようなおバカがないのが不満である。
おバカを感じられるのは6期のMCだが、例えば℃-uteイベのおしゃべりと比べたときに、どうしても関係性の濃密さという点での「物語力」に差があるように思われた。話を広げるなら、僕がハロモニやらラジオを聞いていないせいもあるだろうが、メンバーの横の関係性が見えづらくて、娘。というグループの超越性を感じにくいということだ。それは端的に中国人メンバーの使い方に表れている気はする。僕はリンリン・ジュンジュンをもっといじめていいと思っている。なんだか中国語を毎回のようにしゃべっているけれども、今回もMCで中国語を同時通訳するなんてことをやっていたけれども、表面上の仲が良すぎる。僕はそこにリアリティを感じない。
さゆは一生懸命滑稽に踊っていたよ。それはそれはかわいらしい。でも道重さゆみ単体で見てしまうなあ。「モーニング娘。道重さゆみ」として見てないなあ、僕は。
ところで気になるのは、ライブ中のPPPHが減っている気がするということだ。ヲタのほうでも、会場の一体感が作れていないというか、なんだか溢れ出す想いの強さがあるやらないやら。なんだかんだで、ガッタス紺や℃-uteイベ・Buono!イベには熱さがあった。娘。紺は歴史と新鮮さを兼ね備えるほどのものではなかったように思う。娘。の過去を見ることはできた。娘。の今はそこにあったか?
まったくもって僕は娘。ヲタでなくなってしまった。こんなに書くほど悪いライブではなかったはずだ。娘。紺を絶賛するブログをちゃんと読まないと、僕の中でのバランスがとれない。娘。のパフォーマンスに関して言うなら、昨日の新人公演とは雲泥の差。プロの仕事がそこにあったと言っていい。だけどそれがアイドルとしての価値に直結しない難しさもある。


アンコールの2曲、Tシャツ姿で出てきた娘。達は一様に胸が小さく見えた。ここに救いがある。僕はライブ中にハロプロのスローガンを勝手に考えた。「夢は大きく 胸は小さく」。ハロプロは物語で勝負する集団だ。胸が大きいと夢の広がりを貧困にする。僕らの想像力を阻害する。胸が小さかったら、僕らが大きくする余地が残るじゃないか。そこにアイドルヲタの夢があると言っていい。ジュンジュンのへたくそな日本語やら、久住の過剰な笑顔みたいな、夢のかけらを集めたらたいそうなものになりそうな気はする。