場のルールはどのように形成されるのか(2)

なんだかんだ他のことを書いていたので、℃-uteイベ品川を1週間遅れで振り返る。
仕事が終わってギリギリ間に合わせる、ということを2週連続でやってしまった。
℃-uteヲタとして感想を述べるならば、最高だった、という一言で十分だ。最近の℃-ute現場では、℃-uteと自分、少なくともどっちかは泣いている気がする。
握手会は、例によって、なっきぃに「頑張れ!」と言ってもらうプレイ。なっきぃのために頑張ります。



さて、「場のルールがどのように形成されるか」ということを先日考えたのだったが、具体的な事象としての「サイリウム祭」等を今日は考える。(ヲタじゃない方はキーワードの「サイリウム企画」の説明をお読みください。)
Ⅰ.ヲタがルールを作る
サイリウム祭の是非については昔から考えてきた。簡単に言えば、「タンポポ祭」の奇跡は、ヲタの無償の愛の表現であったが、それが次第にヲタの自己満足になってきたのではないか、という議論。つまり、祭がアイドルのため、なのか、ヲタの横の連帯のため、なのかという問題。娘。の卒紺サイリウム祭は、年を経るごとにマンネリ化のそしりも受けたし、やはりあの「タンポポ祭」の感動はない。だけど、それは形式化という言い方とともに、儀礼化と言ってもよく、アイドル側にとっても分かりやすくヲタの愛情が伝わる企画なので、アイドルの受けも非常にいいため、ヲタのほとんどは好んで祭に参加する。
今回の梅田えりか生誕祭では、企画者がサイリウムを配り、点灯のタイミングも明確にし、終演後はサイリウムを回収していたため、企画を知らないヲタにとっても非常に参加しやすく、また気分よく参加できるものだった。ベリキュー合紺のラストでのピンクサイリウム祭は、特に大々的な告知があったわけでもなく(少なくとも僕はよく知らなかった)、配るわけでもなかったので、僕は参加しなかった。で、参加しないことによる疎外感というのも間違いなくあるのだ。
サイリウム企画で考えなくてはいけないことは、祭はヲタの行動を否応なく統一していくという暴力の側面を常に持ち合わせるということだ。その場にいれば「参加しなくてはならない」ものになるし、いやもちろん参加しなくてもいいのだが、参加しないと疎外感を味わうことになる。だから、まずは祭りをするにふさわしい場であることの説得性はほしい。
サイリウム祭が企画されるのは主に次の場合だろうか。
1.卒業・解散
2.誕生日
3.ツアー千秋楽
4.出身地の凱旋公演
(多分あったと思うけど、いまいちよく知らない)

卒紺」は十分にその説得性を持っているし、「生誕祭」もまずまず。「ツアー千秋楽」や「凱旋紺」はそれだけでは説得力があまりないようにも思える。企画者は企画段階で空気を読む必要があるということだ。そして、現場での告知、配布によって企画者の熱が感じられれば、大体祭りは成功する。僕はサイリウム祭の失敗をあまり知らないが、「粗末な布」企画のように企画そのものの魅力のなさや、企画者の意図が十分に伝わらないという条件が重なれば失敗をするのだろう。以上はヲタ基準の倫理。
アイドル基準の倫理――アイドルにとってよいかどうか――で考えると、僕は曲のイントロで流すのはどうなんだろうか、とは思った。泣いてしまって全く歌えなくなるのも予想は出来たからだ。それはそれでヲタとしては泣けるけれども、イベントを崩さないためには、どこかのMCのところで点灯してもよいのではないか、と思った。とは言え、これは瑣末なことだ。梅田始め、℃-uteのメンバーは感動して泣いていたし、その中でなっきぃはやっぱり泣っきぃだった。泣いて歌えなくなった梅田の代わりに、もうひとりの梅田が歌っていたような気がしても、ヲタはそんなこと気にせずにただ℃-uteの幸福な空間に身を委ねたのだ。祝いたいと思うヲタの総意がサイリウム祭を成功させた。こういうのはとても幸せな場のルールだ。
一方で、相変わらずMIXがうるさい。「都会っ子」イントロでのMIXはまだ許せるが、間奏の叫びはもうヲタの自己満足以外のなにものでもないと思うし、楽曲の魅力を削ってしまっているように思えるのでいやなのだ。ただ、あまりにも毎度のことなので、慣れてしまっている自分もいる。イントロのMIXは僕にとってはニコ動のコメントみたいだ。コメントがやたら流れて見づらいニコ動のあとにYouTubeを見ると、コメントが流れないことに不自然さを感じるのだ。MIXが当たり前、という感覚になりたくはない。
まだ、場のルールは確立していないように思う。MIXをするヲタの割合は決して高くない。ただうるさいので多くいそうな感じがするだけだ。僕は場のルールとして、MIXは排斥したいと思っている。だけど一方で、僕はそれなりに「なっきぃなっきぃ」叫んだりするし、スケブも使っている。それは迷惑じゃないのか、と問われると、なんともうまく答えられない(ボード・スケブ批判においても、周りに迷惑というのと、アイドルにとって迷惑という二つの論点がある。松浦亜弥がラジオでボードに関して言及した、というが、松浦は最近ヲタをいじれば喜ぶと思っていそうなので、これはこれでファンサービスのつもりなのだと思う。http://www.machineworks.co.uk/whg/2008/05/post_5400.html)。僕は、運営側が禁止しない限り、スケブを使うと思う。だけど、運営側が禁止しなければ何をしてもいいと思っているわけでもない。


Ⅱ.運営サイドがルールを決める
どうしようもない行為に対しては、運営サイドが禁止していくのが簡単である。しかしそれがあまりにも暴力的だと、ファンを失うことにもなりかねないので、運営サイドが厳しい対応をするというのも難しいことなのかもしれない。
いずれにしても、運営サイドからの規制というのは、線引きが簡単なものに限られる。スケブ・ボード禁止は分かりやすいが、MIX禁止、とは言えない(これは電車内で携帯電話禁止とは言えても、うるさいおしゃべりを禁止しきれないことと同じようなものだ)。逆に言えば、規制をしたければ線引きをしていけばよいということで、ファミリー席の設置というのは、まさにその線引きをしたということだ。あるいは、舞台の上演中は立たないで下さい、ミニライブまでサイリウム・ペンライトの使用はお控えください、というのもそう。逆に、「しっとり聴かせるバラードの最中に叫ぶのやめよーぜ」っていうルールは線引きがあいまいなのでルールとして設定しづらいし、設定しても守られない危険がある。
じゃあ、線引きが出来ないところでは運営サイドが何も出来ないかというと、そうではないんじゃないか、ということも感じる。厳しくいくんじゃなくて、穏やかに、中から補正していく感じ。
今年初めに書いたことだが(⇒ http://d.hatena.ne.jp/musumelounge/20080107/1199731051)、鈴木謙介著「わたしたち消費」にあるように、「「お客様は私たちの仲間です」という姿勢への切り替え」が重要なのではないかと思う。品川のイベントでは、進行役のスタッフが「キューティーカラーゲーム」の際に、「聞こえなくなっちゃうから、音に合わせてウリャホイウリャホイ言うのやめてくださいね〜」というような発言をした。また、終演後、握手会までの場つなぎの際には、ヲタのことがよく分かっているトークをし、「ひとりで行く握手会」とか、「残念な方」とか、ヲタに親和性のある言葉で我々に語りかけた。こうした形で、過去しばしば見られた「ヲタ⇔スタッフ」という対立軸を解消し、幸せな「ヲタ―アイドル」関係を作っていく。その過程で、上から目線ではない、アイドルのためにこうしましょう、という穏やかな語りかけが有効に機能していくということ。このような、「みんなでいいイベントを作っていきましょう」というスタンスの表明が重要なんだと感じた。


Ⅲ.アイドルがルールを決める
嗣永が握手会に革命を起こした、らしい。(⇒ http://www.machineworks.co.uk/whg/2008/05/post_5419.html
アイドルがあやつり人形じゃなくて、自己主張をする存在だと明らかになることは、しばしば我々を驚かせる(と言ってもアイドル自身の意思か、そうでないかの判断は最終的には不可能ではあるが)。最近で言えば榊原ゆいヲタ芸禁止があるし、Perfumeあ〜ちゃんがファンに命令していく様は僕には新鮮だったし、古くは制服向上委員会の「悪質ファン叱責事件」なるものもあったらしいですね(よく知りませんが)。
アイドルが現場のルールを決める、またはヲタの行動を方向付けていくことにはリスクもあるが、成功すればこれ以上ないヲタ―アイドルの緊密な関係が築ける。今回の桃子の握手会革命はその最たる例になるだろう。
ヲタは、アイドルを自分の意のままにしたい欲望と同時に、アイドルに自分の行動を定めてほしい欲望も持っている。例えば僕は過去、モーニング娘。に言われたので、24時間テレビの募金と、確か新潟の地震の募金をしたことがあるが、先週は特に℃-uteに言われなかったので、品川駅前の四川大地震の募金は通り過ぎてしまう。下手すればその隣で売ってた℃-uteの非公式写真のほうに金を出しかねないくらいだった。時々現場の館内放送で、注意事項がメンバーによって読まれる。我々はある程度はアイドルに命令されたいのだ。ベリキュー合紺MCでは、梨沙子が「帰ったらうがい手洗いをしてくださいね」みたいなことを言って、それにヲタは「はーい」と返事をしたのだ(残念ながらりしゃこはヲタが返事をする間を取る能力がないのだが)。
しかし、上記はヲタとアイドルの利害がある程度一致した幸せな命令である。アイドルが、迷惑してるからこうしてください、と主張するケースはハロプロではほとんどなかったろう(MC中に身振り手振りで控えめに主張することはあると思うけど)。実際に現場でアイドルがあるヲタを叱責することは難しい、それが他のヲタにも水を差してしまうし、どうしてもアイドルへの印象を悪くしてしまうのだから。


上記3つの方向から場のルールが形成されるとして、アイドルがどの程度権威を持っているか、つまりヲタからの目線が「上から下」なのか、ある程度「下から上」なのかで現場の秩序が決まってくるだろう。どうしてもマイナーなアイドルであれば、Ⅱ・Ⅲからのベクトルが弱くなるので、現場が荒れやすくなってしまう。Ⅰだけに依存するのは無理だろう。とは言っても、いずれにしても、ヲタ自身が周囲に対してと、アイドルに対しての倫理を不断に考えつづけなきゃいけないんだろうな、とは思う。引き続き検討。