℃-ute展望

℃-uteアンケートが携帯で答えられるほど短くて済むはずがないのでブログで書いてみる。
もちろん一番好きなメンバーはなっきぃにしたわけだが。

℃-uteとしての魅力はなんですか?●
『矢島―萩原などの年齢差からくる擬似家族的関係と、萩原―岡井等に見られる友情関係が織り成す多様な物語。仲がよいグループであること。』
これは前も書いた。こうした家族的関係を思わせることにおいて、かつてのモーニング娘。℃-uteが似ているという話は昨年書いたが、モーニング娘。℃-uteの差異もある。モーニング娘。のほうはASAYANイズムの名残でメンバー同士の確執も同時にあったが、℃-uteは「本当は仲が悪い」という物語としては消費しにくい気がする。このまま素直に仲が良いグループとしてのイメージ付けで持っていくべきだと思う。
もし事務所が℃-uteを擬似恋愛関係(男性ヲタ向け)のみを基盤とする不安定なアイドルにしたくないのであれば、℃-uteの擬似家族的関係(一般向け)や、同性愛的関係(女性ヲタ向け)、というような多様な消費のされ方をするように物語を創っていってほしい。今℃-uteのイベント・ツアーでのMCや、DVDではそうした世界を十分に作れている。その方向性を絶対に見失わないでほしい。


℃-uteで好きな曲●
『JUMP
Yes!しあわせ
美少女心理
℃-uteってのは本当に名に恥じないグループだと思う。みなぎる情熱。その熱さに包まれて幸せになれる。


●これからの℃-uteの活動に望む事をあげてください●
『無理に大人化を急がないこと。擬似恋愛感覚を誘発するような売り方をしないこと。女ではなく、若さ・青春・生命力を売りにすること。』
上でも書いたが、℃-uteの魅力は、それに対して恋人にしたいと思わせるだけの貧困なグループではない、ということ。もちろん男性から℃-uteを見たときにそうした性的な視線はほとんど不可避であったとしても、それがグループのアイデンティティとならないこと。
2001年、黄金期と言われたモーニング娘。の一体何が魅力であったか。それは、魅力が一元化できなかった、ということだ。今のPerfumeが「音楽性」と「アイドル性」の少なくとも二つの切り口を持つがゆえに人気を博していることも参考になろう。当時のモーニング娘。は、デビュー当初より「ASAYAN」「うたばん」が作り上げてきた物語を消費する層、中澤―辻加護に見られる家族的関係を微笑ましく見た一般層、辻加護が開拓した子供層、石川吉澤が徐々に開拓する女性層という風に、様々な消費層に訴えかけたがゆえに奇跡的に「国民的アイドル」と言われるまでになった。現場のファンということにおいても、その出自はプロレス・スポーツファンであったり、鉄ヲタであったり、もちろんアイドルヲタであったり、そうした趣味を全く持たない一般人だったりした。
大人になると、家族関係が徐々に希薄になってきてしまう。℃-uteが魅力的であるには、ひとつには家族的関係を保つために無理に大人化をさせる方向に行かないことが重要だと思う。具体的には、写真集の水着はスク水でとめてほしい、少なくとも性的な視線のみを求めるような水着を着せるのはやめてほしいということ。楽曲では、「都会っ子」や「涙の色」のような大人びた曲の割合を高めすぎないこと。「桜チラリ」「めぐる恋の季節」風味、もっと言えば恋愛を歌わない曲のほうに℃-uteアイデンティティが存在すると僕は思っている。(モーニング娘。が国民的アイドルになった頃の曲は、1対1の恋愛を歌ったものはないように思う。恋愛と見せかけておいて高次の普遍的なテーマを歌うことによってモーニング娘。は万人受けすることになった。)
℃-uteが大人びて支持が高まることがありうるだろうか。「都会っ子」はおそらく一般層受けをある程度狙ったものだと思うが、あまりにもやりすぎると、他のありきたりの恋愛の歌を歌う歌手と十把一絡げにされてうずもれてしまうのではないかという懸念はある。℃-uteは若さ・青春・生命力を売りにしてほしい。過去のモーニング娘。ほどの人気は望むべくもないにしても、成人男性ヲタ以外の層にも十分訴求できるんではないかと思う。