℃-ute春ツアー前夜

どうも、℃-uteに対する高まりを感じないでいる。
それは自分の内面に関してでもあり、また現象としてでもある。
今年℃-uteがいったいなにをしたか、どうも思いつかないのだ。
もちろん、そんなもの調べればいくらでも出てくるのだが、一方調べなくてもスマイレージが何をしているのか知っているし、ももクロの状況も伝わってくる。アイドル現象の中心に、℃-uteがいないことははっきりしている。
方々で、℃-uteが終わった、という言葉が聞かれる。なるほど、そのことばに理解はできる。
アルバムの売り上げ的に終わった。メンバーの脱退で終わった。歌詞世界内で処女が終わった。


ぼくは℃-uteの楽曲の世界観とBerryz工房のそれとの対照を思わずにはいられない。
端的にそれは、ここ5曲ほどのCDジャケットの色調を見れば分かるが、℃-uteは白・黒を基調とする、言ってしまえば暗い見せ方が目に付くのに対し、Berryz工房の色彩の豊かさ。
歌詞・曲調についていうならば、滑稽感、お祭り騒ぎの楽しさは、℃-uteにはない。Berryz工房にはある。ぼくは当初、娘。の「ラブマ」から「ピース」に至る黄金期の世界観を受け継ぐのは℃-uteだと思っていた。ところが、実際にはBerryz工房がそれを受け継いだ(「恋ダン」を「ジンギスカン」として受け継いだのが象徴的)。また、先日、知人がカラオケでAKBの「涙サプライズ」を歌い、流れたPVを見て思ったが、やはりこれは中高生に売れる。圧倒的な明るさと青春感という単純な理由でだ。
一方で、℃-uteは中高生に訴求するポイントがないように思われる。というか、誰に売りたいのか全く分からない。(「SHOCK!」のすごいところは、お祭り騒ぎ的に楽しみたいDD気質にも合わなければ、擬似恋愛的・同志的に応援したい単推し、マジヲタ気質にも合わず、どちらも寄せ付けないところだ。)


℃-uteは、それをネタとして盛り上がったり、楽しんだりする媒体として機能していない。ネタとするには、歌詞世界も重たいし(「SHOCK!」の歌詞で一体どんな妄想が可能なのだろうか?)、メンバー脱退の経緯も重たいのだ。曲のイメージと、アイドル自体のイメージが相互に強化しあって、ヲタが安心してネタ化して楽しめる雰囲気をシャットアウトしてしまっているような印象がある。極端な言い方をすると、それを指差して笑うのは、死者や病人を笑うに等しいような感じがする。だからといって、℃-uteべったりで、終末論的な世界観を持つ宗教の信者のように、ストイックに活動できるヲタは、そう多くはないし、疲れてしまう(その点で「ガチ」を謳うAKBは、曲調の明るさでうまくバランスを取っているように思える)。多くのヲタは、もっと単純に楽しめるものを求めているはずだ。




…それでも、ぼくはどのアイドルより℃-uteが好きだ。
悪いことばかり書いておいて、このあとライブから帰ってきたら、いいことばかりを書く予定。
その(かすかな)期待が裏切られませんように。…「君の戦法」に酔えますように。