他者を受容することにおける倫理と暴力について

ベリキュー愛知厚生昼夜から帰還。
昼夜ともにD列(実質3列)左側で見る。
もうなんか、ライブレポ的なものはいいや。素晴らしいとだけ言えば満足だ。


さて、昼公演で舞美が「涙の色」前のMCから出てこなかった件、である。
「足がつって」出られなかった、という説明の真偽は別にどうでもよろしい。
僕らヲタにとっては、舞美への心配と同時に、この急場をどうしのぐのか、ということに注目が集まった。
とりあえず出てきたものの、ヲタもすぐに舞美がいないことに気づき、℃-uteも明らかにとまどっていた。空気が淀んだ。ぎくしゃくした愛想笑いのもとで、誰がしゃべるか決まらないまま、トークがランダムに続く。誰もが困惑していることが客席にも伝わり、その客席全体の違和の雰囲気がまたステージにも戻るかのように、表面的には軽いが重いトークが断続的に続けられた。なっきぃはとなりのかんなか誰かに対して、明らかに「やばい…」と口を動かしていた。
スタッフがステージ後ろから走ってきて、梅田に耳打ちをする。その後、矢島抜きで「涙の色」を歌うことを伝える梅田。「(矢島は)大丈夫です!」という梅田、でもステージ上の℃-uteも大丈夫じゃない様子。「えー!」というヲタの声も仕方がない。「どうする?」という表情のまま、立ち位置を確認するメンバー。おいこれ、もう、「がんばれ!」としか言いようがない。僕はやっぱり、「がんばれ!」と叫んだのだ。結局梅田が穴を埋めて、「LALALA」から舞美は復帰。一安心。
「違和」が℃-uteの存在をより顕在化する。舞美がいない℃-uteは確かに℃-uteであったし、舞美が戻った時の℃-uteはやはり℃-uteだった。℃-uteというものが確かに「ある」という感覚がその場にあったし、その℃-uteを応援することにおいてすでに℃-uteという現象の片棒を担いでいる「自分」もまたはっきりと輪郭を帯びる。


さて、曲に穴を開けた舞美は、「プロとしてはまずいこと」という側面も厳然とあろうし、はりきりすぎちゃって舞美らしい=かわいいという側面もある。
ここで改めて「かわいい」という言葉の性質に思いをはせてみようと思う。
「可愛い」=愛す可き/愛することが可能である様子。(可愛は本当は当て字だそうですが)
かわいいという言葉には愛するという倫理的側面と、弱いもの(時に失敗したもの)を上から下目線で愛して(もてあそんで)やろう、とする暴力性が併存・混在する。


ベリキューの敵役「ドエーム」の今日のMCでのメンバーいじりを振り返ってみる。ドエームは夏焼扮する「ベリーズオレンジ」に対し、「だらしない…今日の新幹線でゴミを捨てなかった」という指摘をする。真偽はともかくとして、これはアイドルの現実を曝す行為である。こうしたアイドルの裸形の顕在化は、愛すべき契機でもあり、暴力性の発露でもありうる、ということは、先日(4/9)の加護に関してのエントリでも示した。僕の立場は、「ASAYAN」のように娘。にまさに生命を与え、ファンの愛を生む契機となる番組もあれば、加護のリストカットのように暴力でしかないのではないかと思われるものもあるが、その線引きこそが倫理なのではないか、そうした倫理を求めていきたいというものだ。
夏焼の件に戻る。ドエームのMCは、夏焼の「現実」を曝すことで、必死で否定する夏焼をかわいいと思わせる契機にもなれば、夏焼って普段はだらしない女なんだな、という認識をヲタにもたらすかもしれない危険性も孕んでいた(現場ではほとんどそう捉えられないとしても)。
「いじる」ということの二面性。「いじる」こと(アイドルの裸形を曝すこと)が、アイドルに対して「いじらしい」と思わせ、愛させるベクトルを生むのか、それともただの「いじめ」になってしまうのか。芸人に対しての「いじり」も然り。その他者に対して愛なのか暴力なのか。(またそれを模倣する子供のする行為が「いじめ」になってしまう問題なんかもある。)
固有名詞の問題。僕はここ最近、アイドルをニックネームで愛せ、と書いてきたし自分に言い聞かせてきた。そうすることでアイドルの実存を守るのだという立場だった。だけどちょっと迷う。ニックネームのアイドルを愛するとは、「他者」を受容することを拒否することによって、他者を他者として愛することと、他者を暴力性に曝すことの両方を手放すことだ。これはこれで一つの倫理だとは思うのだが。
だが、僕のなっきぃへの想いが、そんなものをはるかに超越してきている気がする。横アリで泣いた瞬間の僕は、明らかになっきぃを「他者」として(消費でなく)受容していたと思う。明らかに「なっきぃ」の向こう側にいる中島早貴を愛していた。その意味がよく分からないにせよ、だ。
固有名詞を愛したい、ととりあえず言ってみる。
愛知厚生年金会館にこだましていた声が想起される。
「しみず、しみず、しみずさ〜きさぁ〜ん」と叫ぶ誰かは、確かに彼女を愛しているんだろう。
「なかじま、なかじま、なかじまさ〜きさぁ〜ん」と叫ぼうか、どうしようか。