℃-ute紺MCの仕掛け

今さら、9月9日℃-ute紺のMCを振り返ってみる。
矢島とまいまいの寸劇も面白いのだが、やはり特筆すべきは梅田&中島&岡井のテンションMCであった。
梅田えりかが「モーニング娘。誕生10年祝い隊」の「テンション上げ子」役に扮して、勝手にテンションを上げていく奇想天外なMCである。ちなみに、「祝い隊」は「アンオフィシャル」な「私設応援団」であると梅田は言う。「アンオフィシャル」という単語が出てくる時点で面白いのだが、問題はその後だ。
テンション上げ子が、「そちらはどちら!そちらはどちら!そちらはどちら!テンション上がるわね〜!」という風にどうでもいい言葉で勝手にテンションを上げていくのだが(書いててかなりバカバカしいが、まさにそこが重要なのだ)、「そちらはどちら」の次にテンションが上がる言葉として出てくるのが、「使ったタオル」という語なのだ。「使ったタオル!使ったタオル!使ったタオル!…テンション上がるわね〜!」と盛り上がった後、それを観客にもやらせる。「使ったタオル!使ったタオル!使ったタオル!…テンション上がるわね〜!」
昼公演、明らかに、ヲタはとまどっていたように思う。(え、それ言うの?)みたいな。よりによってなんでそんな言葉なの?っていう。そしてさらに驚くべきは、そのMCに引き続いての「That's the POWER」での合いの手でも「使ったタオル」とヲタに言わせるという徹底ぶり。そこにおいても、違和感は引きずられていたような気がする。少なくとも、初めから100%の力で「使ったタオル!」とはちきれたヲタばかりではなかった。その「ルール」に従うのにいくらかの間は必要だった。


「使ったタオル」。よりによってこの言葉なのだ。使ったタオルってなんだ?アイドルの言葉じゃない。ヲタの言葉だ。まさにその瞬間汗まみれのタオルを身にまとっているんだから。使ったタオルは、ヲタの象徴だ、ってのは言い過ぎかね。
梅田が「使ったタオル」と言った瞬間に、アイドルだけがいたはずのステージ上の空間に、突如ヲタが現れたような、そんな違和感。そういや「テンション上げ子」って、「使ったタオル」みたいな無意味な言葉で、勝手にテンション上げてしまうような「痛い」キャラなわけだが、じゃあ、どうでもいいことで勝手にテンション上げちゃう人ってのは、そりゃ、ヲタのことですよ(しかも、「テンション上げ子」は私設応援団モーニング娘。誕生10年祝い隊」なのだ、ヲタ以外の何者でもない)。つまり我々は、しばしばアイドルになりたい我々は、逆にアイドルである梅田がヲタとしてステージ上に現れることにとまどうのだ。
変な合いの手で楽曲を都合のよい風に盛り上げてしまうのはヲタだが、それを梅田がやってしまうこと。「使ったタオル」なんて合いの手は、当然のように楽曲の雰囲気をぶち壊す。それを平気で℃-ute自体が仕掛けること。これって、しばしば楽曲をパロディ化してしまうヲタをさらにパロディ化しているのである。メタのメタ化。本当に℃-uteのライブ・楽曲って油断ならないと思う。
我々は、℃-uteに、「ヲタってこうでしょ」、と見せつけられるのだ。「使ったタオル」という語はある意味では、「ヲタはそれでいいんだよ」と℃-uteからお墨付きをもらっているようでもあり、茶化されているようでもある。いずれにしても、僕らヲタはなるべくなら鏡を見たくないんだと思う。「それでいいよ」と言われても恥ずかしいし、茶化されても恥ずかしい。そんなヲタの弱さがいきなり顕在化させられる。他人を茶化すくせに、自分のことを言われると黙っちゃう、みたいな。
萌えの楽園には安住させないよ、「現実」も見なさいよ、という外部視点を持ち込む。℃-ute紺MCの(文学的)価値は、こういうところにあるのだろうと思う。それは、以前から述べてきたように、℃-ute春紺と「寝る子は℃-ute」でも一貫しているものなのだ。

(15日名古屋夜紺では、「使ったタオル」という語が、「いたって健康」になったということをレポで見たが、それってどうなんだろ。ヲタっぽい言葉で攻めないと、いかんのじゃないかと思う。まあ、これからのツアーでどんな言葉になっていくか、注目です。)