アイドルの固有名詞

アイドルの実存的問題として。
ハロプロのメンバーは基本的に本名をそのまま使っていると認識している。田中れいなとかアヤカとか、多少の例外はあるにしても、芸名を使っているメンバーはいないと認識しているが、これは正しかったろうか。もともと一般人がアイドルになる過程を見せるハロプロが、芸名を使えないのは致し方のないことであるが、これって結構辛いことなんだろうと思う。
固有名詞としての人名は、通常その存在に貼り付いている。例えば僕が「斧屋」という人名だったとして、それは僕という存在と違和感なくくっついて、それ(「斧屋」)が使われているときには「自分」が指示されているということを自然に即座に受け入れられる。
ところが、アイドルでもあるところの人名は、「存在」として語られるだけでなくて「作品」(虚構)としても語られてしまう。メディアを介し、また様々な商品としてアイドルが遍在していくにつれ、名前と身体が乖離していくという事態が起こるだろう。そうした中で、アイドル存在は「私」の喪失という危機を体験せざるを得ないのではないか。
ところでこれはネット社会(もっというなら現代社会)においても同様の現象を見出せる。例えばネット空間上に「斧屋」なる人間の書いたと思われる一連のテキストがあったとして、それをいろんなひとがいろんな立場からいろんな文脈で捉えて賛否を表明したとして、そうした批判を見たときに、当の自分からすればどう考えても間違った解釈から批判をしているじゃないか、あるいは、賛成してくれているけどこいつ全然分かってないじゃないか、みたいなことがあったとする。でもそれはテキストというものの性質上しかたのないことだ。だけれど、そうした様々な解釈をされる上で自分の名前(斧屋)が出された時に、いやその「斧屋」は俺じゃねーよ、とは言いたくなるだろう。もっと嫌な事態を考えるなら、もはやテキストの意味内容自体をほとんど問題にされない形で、自分の名前だけがネタ的にネット空間にばらまかれる状態。そこまで行くと、自分の身体から、名前がはがされている感覚を持つことになるだろう(固有名詞が普通名詞化すると言っていいだろうか?)。アイドルはおそらくこうした嫌な感覚をもっと明確に厳然と持って生きているだろう。
身体から名前がはがされて、名前を失った状態になった身体は、「私ってなに?」というどうにもならない問いを抱えることになろう。「ホントのじぶん」ってなに?一般的に普遍的に子供はまず絶対的に自分が肯定されている感覚を得たい。アイドルになるような人間はそうした欲望がおそらく強い人が多い。だからステージ上で多くの観衆から声援を受けるアイドルは幸せである。だけど、メディア上に「アイドル」が遍在してしまう事態は、自分ではない自分の固有名詞が一人歩きする危さだ。肥大化したもう一つの自分と身体としての自分とのジレンマがアイドルを襲うだろう。そう考えたとき、アイドルって大変だと思わざるを得ない。
これへの抗し方として、アイドルを辞めるという方法が簡単である。絶対的に肯定されている感覚は濃密だが自分がどうでもよくされている感覚と裏表である。そうではなくて、自分の能力によって相対的に評価されるようになれば、自分が引き裂かれる感覚を和らげることができる。松浦亜弥のように、また「チャンス!」のように、アイドルから歌手へと転向するのが無難である。歌で勝負すること。もちろん歌がダメと評価されれば終わり、という責任を背負うが、その代わりアイデンティティの危機を回避することは比較的出来やすいだろう。
でも、そうではない方法を考えないと、僕がアイドルを長く楽しめません。
さて、「月島きらり」って固有名詞なんだろうか?キャラクターの名前は固有名詞。だけどキャラクターは遍在する。時には人間の形を借りてまで遍在する。ということは、キャラクターの名前は固有名詞と普通名詞の中間形態と言ってしまってもよいだろうか?遍在しながらも唯一性を保っているキャラクター。あ、遍在しながらも唯一性を持っている存在と言えば、「神」でした。神は実際英語では固有名詞でも普通名詞でも使いますね(日本のキャラクター文化は無宗教を補完するものだ、みたいな議論ってどっかにあるんでしょうね、情報求む)。
人名としての固有名ではなく、キャラクターの名前(芸名)をアイドルの固有名詞として流通させてあげることは、アイドル存在の負荷を軽減してあげることになるのではないか。「月島きらり」を見るとそう思えてくる。とは言え、アイドルの本名を隠すことはハロプロにおいては無理なのだとしたら、せめて公式で出回る名前を全てニックネームしてあげたっていいと思う。加護が常にメディア上で「あいぼん」だったら、「加護亜依」という戻るべきところがあったろう。松浦亜弥は、少なくとも流行としての彼女の名称が「あやや」であったから、「松浦亜弥」に戻れたのではないか(いやもちろん歌がうまいからなんだけど)。アイドルから普通の女の子へ戻る道しるべのために、アイドル現象にアイドル(神)の依り代としての名前を、生身の身体には親から与えられた固有名詞を。僕がアイドルをプロデュースする立場なら、これくらいのことはしてあげたいかなあ。