自転車になるアイドル

9月22日に新浦安駅前広場で行われた、UMA(浦安マリンエンジェルス)のイベントに行ってきました。本当は14時30分からの回に行きたかったのだが、葛西駅で自転車をレンタルする手続きに時間がかかったのと、途中で迷子になったので、結局会場に着いたのが14時50分、すでに終わった後だった。
知り合いとフードコートで食事をして2回目を待つことにする。フードコートの各店はやたらメニューが豊富で、しかも安かった。パフェは食べなかった。



17時ころからUMAの2回目のステージ。なんといっても「We are チャリンコエンジェルス」が名曲だ。今回のイベントは自転車の安全利用キャンペーンに関するもので、それ用に作られた曲なのだが、衣装がなんとも凝ったつくりになっている。画像では分かりにくいだろうが、腕と脚に車輪がついていて、頭にはハンドルとベルがついている。頭のベルは実際に鳴らすことができる。
前傾姿勢の決めポーズは、不思議と自転車に見えてくるのが面白い。



▲決めポーズ、正面からだともっと自転車に見える(UMAのブログより転載)



何か人でないものになるアイドル、について考える。すぐに思いつくのがりんご娘だ。りんご娘はりんごの品種名がメンバーの名前になっている。だからりんご娘は人でもあるが、りんごでもある。新潟のアイドルNegiccoも思いつく。あまり詳しくないが、AKB48の派生ユニットである「ナットウエンジェル」も思い出される。
しかし、あるものの形状まで取り入れてなりきる、というところが新しかった(あ、今SDNの蝉の衣装を思い出した)。普通その形状まで再現してなりきろうとすると、着ぐるみやら大掛かりなものが必要で、それはアイドルよりも「ゆるキャラ」の方が適している。しかし「チャリンコエンジェルス」では車輪とベル、これらが踊りの邪魔にならずに、しかも効果的に用いられ、決めポーズによって自転車になりきる。ダンススクールの生徒たちだけあって、踊りはしっかりしているから、ただの企画もののチープな感じにとどまらず、しっかり魅せる。絶妙である。
アイドル全般が、そもそも人を超えた何者かになるものだと考える。人に愛される、常人を超えた存在であると。であるならば、アイドルが自転車になったら、自転車が愛されることになる。自転車の安全利用を訴えたければ、アイドルを自転車にして、それによって自転車を愛させて、自転車を愛情を持って利用してもらえるようにすればよい。実に理にかなっている。もちろん、事はそう単純ではないし、実際その帰り、自分はだいぶ危険な運転で葛西駅まで帰ることになったのだが。


アイドルはしばしばネタ的にも、半ば本気にも「神」と称されるが、神もまた人を超えた、しかし人的な何かとして表されてきた。いま、アイドルブーム、そして地方アイドルが乱立することで、いよいよアイドルが遍在する時代が来た。だからどうしても、八百万の神って言いたくもなる。誰でもアイドルになれる時代に、いろんなアイドルが人ではないなにものかになって、すべてのものがアイドルになって、すべてのものが愛されて、っていう現代的宗教の完成である。しかしこれは実際には必ずしも(というか全然)うまくいかない(そういえばぼくは小さいころアンパンマンが好きだったが、あんぱんは好きではないのだった。関係ないか)。
またもう一つ言わねばならないのは、いま「好意」とか「愛」というものは、どちらかと言えば商業的な論理の中で利用されているのであって、「八百万の神」じゃなくて、あらゆるものの商品化・広告化と言った方がいいのかもしれないということだ。


なんだか大風呂敷広げたけどあんまり回収できない。チャリンコエンジェルスはともかく企画としてはすばらしいと思います!



アイドル領域Vol.4

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▲誰でもアイドルになれる時代と、地方アイドルに関する論考はこちらの批評誌で詳しく扱ってます