ヲタ芸再考(2)

2.ヲタ芸の隆盛
さて、基本的には推しではない演者のところでするものだったヲタ芸(主にOADやロマンス)は、2002〜2004を流行のピークとしたように思う。
2001年夏にコンサートに初めて参加した僕の記憶では、はじめはPPPHくらいしか統一性のある動きはなかったように思う。そこから年を経るごとにOADやロマンスは次第に現場で広まっていった。
そして、2003年初頭(たぶん2月11日)のテレビ東京の音楽番組「MUSIX!」にて、藤本美貴よみうりランドでのイベントの映像が流れ、「マワリ」をするヲタが晒された。スタジオで矢口真里らが「ステージを見てないんですよ」と「マワリスト」を笑う映像が放送されたことによって、ヲタ芸はアイドルのお墨付きを得たのだ。基本的にヲタ芸は「指差されて笑われる」ことを志向している。アイドルに笑われることはヲタにとって至高の喜びであっただろう。この放送がゴーサインとなって、ヲタ芸はあふれていったように思うし、僕の言うところのヲタ芸の「内実」も失われていった。基本的に流行というものは、流行の初めの段階で参与している人間はそれそのものについての認識が深いが、後で流行に乗っかる形で参入していく人間は、形式の模倣にとどまることが多い。
ヲタ芸が流行した要因をほかにも挙げておこう。2003年の後藤真希のシングル曲「スクランブル」と「抱いてよ!PLEASE GO ON」はOAD、ロマンス、マワリを打つのに格好の曲だった。例えば松浦亜弥「ね〜え?」のように完全に振り付けをまねするタイプの曲と比べると明らかだが、ヲタ芸に向いているリズムの曲があって、それがヲタ芸への参入を促進した面もあろう。
ヲタ芸の隆盛を考えるのに重要なハロプロの流れとして、2002年以降のライブの細分化という事象を無視することはできない。2001年まではハロー!プロジェクトモーニング娘。のこと、と言ってもいいほど、ほかのユニットがメインになってツアーが行われることはほとんどなかったように思う。2002年春に松浦亜弥がソロツアーをはじめ、その後2003年に確か後藤真希藤本美貴メロン記念日*1がソロツアーをはじめた。ここにおいて「DD」という語・存在が現れる。「DD=だれでもだいすき」、要は「一番好き」でないメンバーのライブにも行くということ。そこにおいては、メンバーを応援したい、見たいということよりも、自己陶酔したいという志向性の比重が相対的に高まることになる。つまり、ハロプロの合同紺では応援するメンバーが出ていない曲の時には自己陶酔する、というスタンスだったヲタが、ライブが細分化することで、応援目的で行くライブと、自己陶酔を主目的として行くライブという区別をある程度してライブに来る、ということになる。「ヲタ芸を打ちにライブに行く」というスタンスのヲタがこうして生まれる。偉そうにかく言う僕も、後藤真希のコンサートは先述の曲でいかに自己陶酔するか、ということを目的にライブに行っていたことは間違いない。
ところで、我々ハロヲタは、基本的には自己陶酔とアイドルの応援を使い分けている。昔インタビューした時にもはっきりしたが、ヲタ芸をする条件というのが大体あって、①推し(応援対象)ではないメンバーの出演時、②曲調がヲタ芸向きの曲、③ステージまで遠い席、というのがヲタ芸をしやすい条件である。とにかく、アイドルに対して心理的・物理的距離があるときでなければヲタ芸は普通しない。逆に自分が応援している、愛しているアイドルに自分のヲタ芸は見せたくないというのが普通のヲタの心理であると思われる。これでも分かるが、やはりヲタ芸は、ヲタが演者に対して相対的に関心が低いことをどうしても示してしまう。
ヲタ芸を打ちにライブに行く」または「席が悪いのでヲタ芸に徹する」というような、いずれにしてもアイドルに対して相対的に関心の弱いスタンスのヲタが増えるということは、アイドルの権威、求心力が弱まっていることを示す。卒論第三章後半でも書いたが、「ASAYAN」や初期「うたばん」が作り上げたモーニング娘。という物語を消費するヲタが減り、つまりアイドルを(人格的)権威として志向するヲタが減り、ヲタの横の連帯を志向するヲタが増えてくる。それは例えば「サイリウム祭り」の恒例化であったり、終演後のコール文化の生成(おそらく2002W杯等も含めたスポーツの応援文化の融合もそこにはあった)であったり、そしてみんなで揃ってヲタ芸をする、ということもその一つであっただろう。その極致と言えるものが、2004(?)年のさいたまスーパーアリーナ、けやき広場で行われた伝説(と言っていいと思うが)の「ロマモー」である。藤本美貴「ロマンティック浮かれモード」に合わせ、会場外で繰り広げられたヲタ芸は、「アイドルは究極的にはいなくてもよい」という身も蓋もない事実を明らかにしてしまった。(ヲタでない方で見たことがない方はこちらで見ればわかりやすいです→http://jp.youtube.com/watch?v=ONBjeAjjjGo
ヲタ芸は大体このような形でさまざまな事情を抱えながら2002〜2004年で隆盛を迎えた。それは同時に、アイドルの危機を予感させるものでもあったと思う。しかし、「現実」を準拠点とした権威を失ったアイドルは、後に「虚構」を準拠点として権威を復活させてきたように思える。「虚構」を準拠点とした権威とは、「萌え」のことであるが、今回のテーマとは外れるのでそれはまたの機会に。
さて、ハロプロの現場でのヲタ芸はそれ以降失速に向かう。次のエントリではそこのところを検討したいと思う。

*1:調べたら、正確にはメロン記念日のソロツアーは2002年12月でした