②女性アスリート・四元奈生美

雑誌「Number」が「女子力。」という特集を組んでいる。
女子アスリートのアイドル化、という問題は興味深い。茂木健一郎・・生島淳辛酸なめ子の鼎談を拾いつつ、この問題についてちょっと考える。
そもそもなぜ女子アスリートがアイドル化するかというと、アスリートには「ストイックでピュアなイメージがある。『練習漬けで彼氏をつくるヒマはないのでは?』という妄想をする余地がある」(辛酸)からだ。もともとアイドルが担っていた役割をアスリートが受け継ぐようになったということ。
2つの側面が少なくともあるように思われる。ひとつは情報化社会の抗えない側面としての、表層的消費(「今は、実績がない選手でも、ルックスがよければ注目を集める、成立しちゃう時代」(生島))。深く物語として消費する、というよりは、浅く、または情報を断片的につまみ食いするような消費。(アスリートのアイドル化)
もうひとつは、疑心暗鬼の状態を引き起こす情報氾濫時代における、裏のない「真実」への希求(「真剣勝負が女性アスリートの魅力の根底にある」(茂木)、「すべてをさらけ出している女性アスリートのかわいさは本物といえますね」(辛酸))。(後述のアイドルのアスリート化)
アイドルが信用されなくなった今、確かに女性アスリートが国民アイドル化するだけの理由はあるようだ。逆に言えば、アイドルのファンになる敷居は高くなっている。よく言えばそれ相応のリテラシーがないとアイドルファンにはなれないということだし、悪く言えばアイドルのファンになるためにはそれ相応に変態でなければならない。
アイドル概念とアスリートの親和性を挙げてみよう。女性アスリートは、身体が鍛え上げられているだけに美人が割合的に多いのは一応事実と言えるだろう。そして、その美しさと同様、スポーツ選手でいられる寿命に限界があるという点での儚さがある(「あらかじめ終焉の時が決められているがゆえの儚さみたいなものが、アスリートの魅力でもある」(茂木))。ケガで選手生命が絶たれるという可能性を常に抱えているということも儚さを思わせる。アイドルと同様、強い生命エネルギー(オーラ)を感じさせるし、普通の人間ではない超越的な存在とも言える。それから、スポーツという存在について改めて考えてみてもよい。スポーツは我々が熱狂して初めて職業として存在しうるものである。あるルールにしたがって身体を駆使する営みを我々がすばらしいと信じない限りスポーツは成立しない。そういう意味で、スポーツもアイドルも見てもらってナンボである、という事実を見逃してはいけない(ここらへんに無自覚的なスポーツ選手もたまにいるような気がする)。そういう点で言えば、「嘆かわしいとかいう以前に、経済構造として女性アスリートのタレント化の流れは必然(茂木)」とも言える。
この点に一番自覚的であろうと思われるアスリートが、「Number」でも取り上げられている卓球の四元奈生美であろう。奇抜なファッションに身を包み、大会に出場してメディアの注目を集める。彼女のホームページを見ると、ファンクラブも存在しているようだ。彼女は極めて自覚的に、政治的に振舞っているように思える。卓球や自分が注目を浴びなくては生活していけない。卓球のような、比較的マイナーな、プロとして成立しづらいスポーツほどこうした経済的・政治的な事情にセンシティブにならざるを得ない。キャラ立ちすることで、メディアへの露出も増え、収入も増え、そのおかげで卓球も続けられる。奇抜なファッションをまとうことは、覚悟のいることであるし、自分へのプレッシャーでもあろう。そうした中で結果を出していくアスリートはプロと呼ばれるにふさわしい。
ところで、フットサルもいまだマイナーなスポーツである。そこにおけるガッタスの役割。それは四元の事例と同様、やはりまず見た目から入ってもらって、その後でそのスポーツのことを理解してもらおう、という戦略に他ならない。「かわいい女の子がスポーツしてるぞ」→「このスポーツ面白いんじゃね?」という流れ。
ただそこで注目したいのは、それはマイナースポーツをアイドルの力で普及させる、という役割とともに、アイドルの魅力を再発見させることでもあったということ。先ほど確認したように、スポーツにひたむきな女性は「ストイックでピュアなイメージ」を獲得するのだ(これは矢島舞美にも適用可能)。本気でスポーツするアイドルには裏がない、と信じさせてくれるのである。音楽ガッタスの今のアイドルとしての魅力はこうして成り立っている。
つまりは、女性アスリートとアイドルが、このようにお互いの欠点を補完するような形で歩み寄るという現象がある。女性アスリートは、生活のためにアイドル化する。アイドルは信仰を獲得するため、あるいは自分の立ち位置を確保するためにアスリート化する。


ところで、このような形でスポーツにひたむきになって恋愛をしないアイドル、というものが創り上げられればそれが一番健全に思われるが、アイドルを恋愛から遠ざける手法は他にもあってよい。それがたとえばオタク趣味(しょこたん)であったり、同性愛(かんにゃ)であったりするのだろう。それに関してはまた今度書こうと思う。