5月4日、アイドルイベント感想

5月4日、久しぶりにアイドルイベントをはしごした。その記録と感想を。


まずは池袋東武屋上のGALETTe。アイドル界隈では名が売れている印象だったので混んでいるかと思いきや、70〜80名くらいしか来ていない。いっぱいだったら階段上がってステージ右手から見下ろす観客も出る場所なのに、ステージ前の緑じゅうたんの前半分くらいで収まるくらい。改めて考えると、ゴールデンウィークは無銭現場も大量にあって、動員するのは結構大変なのかもしれない。
それにしても、もっとファンが集まっていいくらい、パフォーマンスはすばらしい。ちゃんと踊るし、何より表情がいい。個人的にはのの子さんの困り顔がいい。メンバーの身長差があるのも、距離を置いて見た時の面白さになって、いい。
終演後、Twitterで感想を書いたら、エゴサーチしたであろうメンバーに即座にふぁぼられるという事案が発生した。「バニラビーンズとアリス十番以来だ」ということをツイートしたら、アリス十番のメンバーが即座にフォローしてくる。なんだこれは。何ごっこだよ。面白いような、哀しいような気分になる。泥臭さとか抜け目なさとも言えるし、「そこまでしないといけない」という悲壮感も感じうる。これは難しい。
その後「プレゼント◆5」の公演を見てから、遅刻気味でラクーアスマイレージイベントへ。GALETTeのイベントと比較できないくらい人がいたのだけど、当日は東京ドームでBIGBANGのライブがあったようで、また他の目的で来た人が通りかかる場所でもあり、観客が多くなりやすいところではある。遠くからで、あまりよく見えないまま終わってしまった。
続いて、秋葉原に移動してGALETTeのイベントに参加しようかと思った(くらいに昼のイベントはよかった)のだが、時間を勘違いして参加できず。急遽アソビットシティ地下のJK21のイベントに参加した。これも70人くらいか。3年前に見た時と変わらないメンバーも残っていて、感慨深かった。



さて。
アイドルブームが続いて、割と、続いている。ここまで続くと、ブームという言葉もそぐわない程度には続いている。であるならば、AKBとかももクロとか、単体でどうこうというよりも、アイドルという存在形態が受け入れられやすい時代だと思った方がよいのだろう、やはり。
そんな中で、各アイドルグループの寿命も長くなっている。パッと思いつくだけでも、活動開始が2006年のアイドリング!!!、2007年のバニビ、2008年のももクロアフィリア、2009年のスマイレージ、えび中、PASSPO☆、Dream5、2010年のスパガ東京女子流さくら学院、BiS、チアチア、N0などなど…。全然網羅してないけど、これだけ見てもみんなよく続いている。もちろんグループによってメンバーチェンジも頻繁であったり、正直運営費がきつい、というかメンバーの給料が最底辺のグループもあるだろう(先日もバニビメンバーの格差問題がTwitter上で話題に出ていたが)。それでも、5年以上続いているアイドルが多く存在しているということに対して、女性アイドルの長寿化という言葉を当ててもおかしくはないだろう。
地方アイドルについても、2007年のまなみのりさ、2008年のJK21、2010年のDLH、とちおとめ25、OS☆U、ひめキュンといったグループが長い(Negiccoとりんご娘は別格)。
以上は、スマイレージJK21を久しぶりに見て、アイドルグループの長寿化を改めて感じたお話。
(参考:3年前の記事「大阪のアイドル「JK21」を見てきた」http://d.hatena.ne.jp/onoya/20110208


一方で、個々のアイドルを見ていけば、ブログであっさりと卒業や脱退を発表するアイドルも多い。それだけアイドルが多いことの表れでもあるのだが、アイドルになることの障壁も低ければ、アイドルからやめることの障壁も低いのが現代アイドルである。特にメジャーな人気のアイドルでないなら、アイドルをやることは部活や習い事をやるのと同様の感覚があるかもしれない。


このようにアイドルの長寿化と短命化という両極があるが、大ざっぱな傾向としてはメジャーなアイドルの寿命はそれなりに長くなり、人気のないマイナーなアイドルの中にはすぐに辞めるアイドルもいる、ということだろう。そうした中で、「アイドルをやめてからまた戻る」、あるいは移籍するというような例も多くなっている。先述のGALETTeなんかはその典型であり、元HKTや元CQC’Sや元Chimoがいる。面白い。
以上のことは批評誌『アイドル領域Vol.4』の総論でも2年前に論じたことなのだが、2年経っても状況は変わらないどころか、ますます流動化しているようにも思える。


さて、一部にはアイドルブームが終焉に向かうと捉える向きもあるようだが、すぐに終息するとは思えない。これは「ブーム」という言葉の捉え方にもよるが、自分としてはそれが文化として成熟・定着するかということに興味がある。
先日Twitter上で話題になっていた記事、「ローカルアイドルブームは終わるのか」http://ppropane.tumblr.com/post/84862359066 は非常に示唆に富むもので、NegiccoLinQ、DLH、ひめキュンに続く存在が出てこないことを危惧している。それはそれで一定の説得力がある。それでも日本各地で地方アイドルはまだまだ新しく生まれてきている。この記事は、「ブーム」ということについて、経済面とか、都会から人を呼ぶ側面、あるいは地方アイドルはメジャーを目指すべきという結局のところ都会(東京)中心主義的な立場と読めなくもない。その視点は大事だとしても、地方アイドルを考える時にその側面だけではなくて、あくまでマイナーリーグ的に細く長く続ける可能性があってもいいし、別に都会から人を呼ばなくても、その地方でそれなりの知名度を持っていればいいし、あるいは少女が青春時代を一時捧げる部活やクラブ活動のようなものであっても構わないと思われる。いずれにせよ継続的な活動にはお金がいる、というのは現実なのだが、そもそも、長くやるのがよいのかどうかという問題もあり、一筋縄ではない。
最低限の人員と設備があれば、名乗りによって容易に「アイドル」に参入できるようになった現在、いままでは「アイドル」と名乗らなかった人々までもがアイドルを自称するようになっている。以前だったら地方のキャンペーンガールとか、ミス○○と呼ばれていたかもしれない存在がアイドルを自称するようになったり、芸能スクールに通う子たちが歌手やダンサーやダンスボーカルユニット的な呼称をやめ、アイドルを名乗るようになっているという側面もあるだろう。こうした側面を見た時に、地方アイドルの目的とか条件を定義づけすることの困難にも容易に気付く。
アイドルという言葉の価値を皆が信じて、それの周辺領域にいたような存在がどんどんアイドルに名乗りを上げる。その中心点へ向けての引力を、「アイドル」という言葉はまだ失っていないように思える。
他の呼び名を持っていた存在が、「アイドル」を名乗ることによって、その少女は見ることと見られることが織り成す舞台に上がることを宣言する。当人にそのつもりがなくても。アイドル現場とは、身も蓋もない言い方をすれば「少女をジロジロ見たり触ったりすることを公然と許される空間」である。そうした舞台が全国各地で繰り広げられていること。これには倫理的な議論も起こるだろうと思うが、また一方で、地方アイドルは最も手軽に、地方における物語のハブとして機能させる可能性をもった「メディア」でもあるのだ(この辺の議論は『アイドル領域Vol.4』収録「地方アイドル論」斧屋も参照のこと)。


とりとめもない話になってしまった。要は、地方アイドルって言っても、いろいろいるし、いろんなあり方があるだろう、ということだけだ。一口に「アイドル」と言うが、その言葉の魅力、引力によって、アイドルの領域は大きく広がっている。そんなことを、久しぶりにアイドル現場をはしごして、改めて思い出したのだった。



アイドル領域Vol.4

アイドル領域Vol.4