あらためて「LALALA 幸せの歌」について

なっきぃの声の可憐さ。声を抱きしめたい。

LALALA 幸せの歌(初回生産限定盤)(DVD付)

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とても素晴らしい曲だとは言えないにしても、まさにつんくが作った曲だということが如実に分かる歌詞の作りと、往年の娘。の曲と同様の構造を採っているという点において、「LALALA 幸せの歌」は興味深い曲である。
つんくのかくシングル曲の歌詞として、以下のような特徴が見られる曲が多数ある。


①道徳的な言葉をかなり直接的に使ってくること(「正義」「平和」とか)
②歌詞の作りが下手に見えること
③Aメロ(または+Bメロ)までは個別的な事象(恋または女の子の日常)を描いておいて、その後、脈絡なく普遍的な事象へと歌詞を飛躍させるという構造をとること


「幸せの歌」においても上記の特徴は顕著である。
Aメロにおいては一人称は「わたくし」「女の子」なのだが(ここで「わたし」じゃなくて「わたくし」にするところがすでにつんく味なのだが)、Bメロからは「世界中のみんなが」とか、「地球が」に飛躍する。この間のつながりは全く見えない。その後サビでは「平和」「人間大好きさ」「家族で話そう」と道徳の教科書のようなつくり。
曲によっては「個別的な恋→普遍的な愛」へ持っていくパターン(ラブマなど)もあるが、今回は恋すら描かずに、女の子の日常→地球。
このスケールのでかさがばかばかしくていい。
歌詞の下手さ、については、「でっかい将来」とか「本日晴天だ」とか。プロの作詞家だったら絶対こうは書かないと思う。だけどこの稚拙さが、歌い手自身がつくったかのような演出効果となって、℃-uteの曲としていい響きを奏でるのだ。歌詞が整いすぎているのも考えものであるということだ。
℃-uteは普遍的な、抽象的な愛を歌う。だけどその愛が伝わるのは、℃-uteである女の子達の個別個別の振る舞いを通してなのだ。「人間大好きさ」というメッセージも、「人間大好き」と思っていそうな彼女達の笑顔という個別的現象を通して伝わるのだ。ああ人生ってすばらしい。
ついでに書いておくが、舞美の腋は美しい。