ちゃい夢

4年前に「ちゃい夢」というユニットが組まれた。
竹下通りのハロショの近くで、ちゃい夢の存在を知った。
当時5歳、6歳くらいのメンバーを見て、ただただ笑うしかなかった。
今、ちゃい夢のメンバーは10歳くらいになった。
細々と活動を続けているみたいだが、ファンクラブもある。


で、℃-uteの話だ。
これが、ユニットとして曲を出すんだろうか。
その可能性は大いにあるんじゃないのか。
正月に予言したように、実質鈴木ソロのユニットとなるのだろーか。


んで、アイドルの低年齢化とヲタという話だ。
性別が問題になるような歳(中〜高校と言っておこうか)以下のアイドルというのは、まずメジャーとしては存在し得ないだろう。
小学生は、マイナーアイドルでしかありえない、はずだ。これからどうなるか知らないけど。
そういうところで商売をはじめるというのは、もちろんアイドル予備軍として、ジャニーズジュニアのような目的があるのかもしれないけど、でもやはりそこに支持者が集まるようになるというのは、ヲタの新しい傾向だと捉えていいのだろう。
2002年の段階で冗談でしかなかったはずのキッズが、いまや勢いという点ではハローの中でも際立っているという事実は、ヲタのほうの変化をもはっきりと示している。
確かに後藤→辻加護→キッズ(ベリ)→キッズ(℃)というように、漸進的にロリ(へたすりゃペド)化を事務所は進めていたと見ることもできるし、ヲタの傾向に従い結果的にそうなったと見ることもできるのだが、だけどもそうした漸進性よりは、娘。→キッズというヲタの「転向」を見たときに、「断絶性」という言葉をもって語りたいような気分になる。
なんだろう。キッズって、とても過激で先鋭的な感じがするのだ。
それが少なくとも自分には魅力にならないのだ。だけど、逆にはまったら大変だということも十分に分かる。
当たり前のことだが、キッズがいなけりゃキヲタは生まれなかっただろう。
もちろん、もともとそういう嗜好があったヲタはいたかもしれない。
だけど、キッズができることによって、そういう嗜好に「させられた」ヲタが多数いたはずだ。「させられた」というのは、主体性がないなどという批判的な意味合いではまったくない。(私だってののたんのせいでアニメ的な萌えの世界に引き込まれつつあるのだ。)
キッズのせいで、そういう年齢の女の子しか見れなくなる、そういう女の子しかかわいく思えなくなる、ということは往々にしてある、はずだ。


さて、そうしたヲタの嗜好の低年齢化は、ヲタの大きな流れとしての「DD化」とどういう関係にあるのだろうか。卒論に書いたように、キヲタを自分は基本的に「マジヲタ」だと思っている。典型的「DD」に見られる、かわいけりゃ誰でもいい、というスタンスはキッズにおいては発揮されづらい。キッズの「かわいい」は、顔を中心として判断されるようなものではないと思える。だからと言って、昔の娘。のように人格という深い面まで踏み込んで好きになる、ということでもない。それは小さい子特有のかわいさ、であって、それは弱さ、無垢さ、未熟さ、不慣れさに溢れた存在を全体として愛でるようなたぐいのものだ。だから、DDに見られるパーツ萌え(要は自分の琴線に触れるような萌え要素に反応すること)ではなく、キヲタはキッズの存在全体を崇める。
こうして、初期娘。において、人格的に崇拝することで「マジヲタ」であった人間のうちのいくらかが、ヲタのDD化の中で、キッズの幼さを崇めるヲタとして「マジヲタ」でありつづけている。
「DD化」に抗するという振る舞いが、周りには過激に見えたり、それまでと断絶した感じがしたんだろう。
もちろんキッズの中にも「キャラ」という「DD化」の象徴のような要素もあるわけだが、キッズの人格をキヲタは崇拝しているわけではないので問題ない。(キャラが立てば、そのアイドルの内面は問われない、というキャラ志向は、メンバー同士キャラがかぶらなければいいという娘。内の「仲良し化」を進め、ヲタも各メンバーのキャラに萌えるという「DD化」が進んだ、と卒論に書いた。)


んで、℃-uteである。
余った7人をそのままユニットにするのって、ずいぶん適当な感じはするのだが、そうした「意味」がもう問われない世界になってしまったから問題ないんだろう。
古来より、小さい子って、その無垢さ、無知さゆえに神聖な力を持っていたり、不思議な感覚を持っているって考えられてきたんだが、大げさに言えばキヲタもそうしたところに神聖性を感じてヲタをやってもいるんだろう。
あるいは、「純粋な」キッズの姿を見ることで、俗世間の「意味」とやらから自由になれるような解放感があるからか。
いずれにしても、キヲタはキッズの幼さに超越性を見いだして崇拝する。
だけど、キッズはいつまでも幼くはないんだな。だからこそ、そのはかない幼さが崇拝されるわけだが、そのあとキヲタはどうするのか。これが、目下注目しているところです。
次々と幼い子を推していければいいのだが、そうなった時に熱狂が保たれるのか。
ずっと年をとらない二次元世界に没入するという手もある。
どーなるんだろー。


しかし、ベリ工あたりから、もしかしてもう、キッズの方でも「DD化」が進んじゃってるのかなあ。ああもう一体、どこに超越性、唯一性を求めればいいんだ、ヲタは。
…岡パイが頼みの綱か?