アイドルへの距離と権威

問い:『アイドルとコミュニケーションをとろうとする行為、アイドルと距離を縮めようとする行為は、アイドルに没入し、アイドルに権威を認め、それを強める行為であるように見える。しかしその行為そのものは、アイドルとコミュニケーションがとれる、アイドルに近づけるという認識のもとで行われるという点で、自分と同等の地平にアイドルを置こうとしている。これはアイドルの権威を失わせる行為であるように思われる。
逆に、アイドルから距離を取り、クソ席でヲタ芸をしたりする行為は、アイドルをどうでもよいとする行為と捉えられる点においてはアイドルの権威を認めないように見える。しかしその行為は、実際にアイドルのライブに来るというアイドルへの執着を見せながらも、アイドルに近づけるわけがないという諦めの境地とも言え、逆にアイドルの権威というものを強く認識しているとも言える。
これはどうとらえたらいい問題なのか。』


今考えられるだけの答え:『距離が無限大あるいは0の時、コミュニケーションというものは成立しない。なぜなら、コミュニケーションというのは距離を有する複数の対象間をなにものかが伝わることを指すから。マジヲタもDDも、その極限は距離を無にしてしまうという点では同等。だから適度に距離をとりなさい、という話になってくるんだろう、たぶん。』
しかしそうなると、なんとなくアイドルの権威の大小をDD―マジヲタ間の数直線のように考えてきた僕のモデルは完全に崩壊する(もちろん「DD」「マジヲタ」の定義が大問題なんだけど。ここでは単純にアイドルにベタに没入してアイドルに近づきたがるほうを「マジヲタ」、アイドルと距離をとって客観的に見ていくほうを「DD」と大まかに捉えています。「マジヲタ」のほうの呼称をもっと適切なものに代えたい気はする)。なんでこのことに今まで気づかなかったんだ。これって相対化をはじめから自明なものとして含んでいるアイドル現象だから顕著に出てくるけど、伝統的な宗教においても発生している問題だよねえ。どうなってるんだっけ。答え求む。