円環的イメージで捉えるヲタ

似たようなことを考える人はいるものです。
http://d.hatena.ne.jp/eal/20060924
『「実体主義」とは、「彼女たちモー娘を、人格のある実在する人物として認識し尊重し、誠意ある応援をする」ということだ。一方、萌え派とは、モー娘にアニメキャラと同等の魅力を感じ、アニメキャラのように人物のキャラクターに惚れ込む。ここでも繰り返される萌えオタクと非萌えオタクとの対立。 』

私が「マジヲタ」⇔「DD」という対立として卒論の頃からみてきた関係です。
ただこの頃はそういった単純な二項対立ではすまないようなアイドルの推し方が出てきているように感じるわけです。
たとえば、キッズに対して「人格ある存在として尊重」というのはおかしいけれども、必ずしも虚構のアニメキャラのように代替可能なものとして権威を失ってしまっているわけではない。
辻は虚構的な存在だと思っていたけれども、私にとってはとても権威があるし、ベタに応援できる。
いわゆる「物語消費」でない「マジヲタ」の発生をここ2年ほどで感じている。
「マジヲタ」→「DD」というアイドル滅亡へのヲタ進化論、ではなくて、「マジヲタ」と「DD」が一定の間隔で交互に現れるという円環的なイメージ。それは、ただ単に「マジヲタ」→「DD」となってある世代のヲタが一段落して、また下の世代が「マジヲタ」としてヲタの世界に参入してくるというヲタの世代交代ということだけではなくて、あるヲタ自身の変化としてもすこしは言えると思う。自分がまさにそうだから。
それを、アイドル側、ハロプロ側の動きとつなげて考えてみると、大方こんなことになる。つまり、娘。がいて、ベリーズが出て、℃-uteがくるわけだが、娘。にベタに応援していた「マジヲタ」が、メタ的に娘。を消費するようになり(=DD化)、ベリーズをベタに応援する「マジヲタ」へと「転向」する。そして、その後℃-uteに「転向」する者も現れているかもしれない。
そんなわけで、ヲタの「転向」と「世代交代」と、ハロプロのアイドル再生産システムとが合致し始め、要はハロプロの、システムとしての「ジャニーズ化」が完成したかという印象がある。
数年のスパンでアイドルを若返らせ(キッズ出現前までは娘。の中のメンバーを代えることで若返りをさせていたわけだ)、常にアイドル離れをさせないシステム。
しかしながら、こういうかたちで「マジヲタ」というありかたがなくならないということを循環的なイメージで捉えた途端に、アイドルというのは代替可能なんだ、ということも同時に痛感させられるという皮肉。
結局、アイドルとかかわる以上、「実在×虚構」「客観×主観」「没入×シニカル」「マジヲタ×DD」「崇拝×消費」「神×人間」「権威×ネタ」っていうような二項の混在っていうのは避けられないんだなと。そしてそれが、アイドル現象から私が抜け出せない、抗えない魅力でもあるのだ。