道徳をどう説く

ヲタ論がなんか面白くなってきました。
http://d.hatena.ne.jp/yomayoma/20060924/ での問題提起に今答えられる限りの整理をしてみたいと思います。

『「実態主義」⇔「虚構主義」
「物語(非萌え)」⇔「萌え」
    |
    |
「マジヲタ」⇔「DD」
「ベタ」⇔「メタ」


「道徳的」⇔「非道徳的(反道徳、不道徳ではない)」
という契機を加えたらどうなるだろうと思いました。
これは、多少の流動はあるだろうけれど一般的に社会が規定する
「道徳」のレベルで、ヲタ心理がどうあるかを考えるという話です。
しかし待てよ、ヲタの「道徳」と一般道徳は恐らく少なからず異質だねぇ。
ああ、そこからちゃんといかないとダメぽい。

例えば
りしゃこの水着ダメ!」
「萌えだけでいいじゃない!」
といった言説の価値をこの契機でも計れるかな、
そして意味があるかなと思ったのですが。』

何度も書いてはいることですが、私という人間が、「倫理意識は現代においていかにして可能か?」という問いの探求の中でモーニング娘。を知りました(2000年末のことです。一応こちらも参照のこと→娘。は倫理教育の担い手として機能するかの論考http://www.geocities.jp/moaning_moron/ranai.html)。だから、倫理・道徳に関してはヲタを続ける中でも重要な関心事でありました。
卒論でも少し書きましたが、「マジヲタ」はアイドルを準拠点として行動規範が決定されます。「DD」は、ヲタの共同体を準拠点として行動規範が決定されます。上の図式でもあるように、一見「マジヲタ」の方が道徳心がありそうな気がするかもしれませんが、必ずしもそうではない、ということを卒論で示しました。すなわち、初期のベリヲタは、崇拝のあまり一般社会の倫理を逸脱する行為が目立ちました。ベリヲタは、彼女たちの「無垢さ」であったり「純粋さ」を崇拝しましたが、彼女たちの「人間性」を尊敬したのではなく、「キャラ」に萌えたため、「人間としての生き方」に関して彼女たちの影響のもとに行動が決定されることはありませんでした。それがベリヲタが倫理的に逸脱した行動をすることにためらいがない理由の一つでしょう。一方で、娘。の「物語」に影響を受けた「マジヲタ」は、「娘。のために頑張ろう」と、ヲタ活動以外の「現実」(学校や職場)でも心の支えとして、行動規範としてうまくアイドルと共に生きていました。結局、「マジヲタ」は「アイドルのために」動くわけですが、どのように行動することが「アイドルのために」なるかは自明ではありません。「マジヲタ」が選択した方法が、結果的に社会の規範と著しく異なることもあるわけです。
そこで、アイドルというのは、その影響力を考慮して、倫理だとか、道徳心を啓蒙していく存在でなければならないと思うわけです。娘。はもともとそうした存在だというのが私の持論ですが、キッズはその歌詞世界を見るだけでも、危ないなあという印象は受けてしまっていました。それでも、「文化祭」のようなイベントをすることで、ハローが倫理教育の担い手になれるんじゃないか、みたいなことは期待できます。(文化祭についてはMoon-Riderさんの意見は面白いです。http://d.hatena.ne.jp/Moon-Rider/20060921 …私が余計な茶々を入れてますが。)
さて、ヲタが「アイドル世界」を準拠点とする「マジヲタ」だけだったらそれで万事OKなのですが、最近は「DD」が増えてしまっている。要は、アイドルとのコミュニケーションに、「意味」を求めていない。宮台真司風に言えば「強度」ということになるのかもしれないし、東浩紀の「動物化」でもいい。メッセージがメッセージとして伝わらない。その形式(見た目・感覚)のみが重視される。文化祭では「ともいき」のステージがまさにそうだったでしょう。「木を植えたい」というメッセージは一つも伝わっていない。ヲタはただ曲の形式に対してヲタ芸で狂喜するだけです。そうなると、もはや「道徳」はかけらも望めません。「DD」は「オタク世界」の同質的な仲間を重視しますから、オタク世界の中の「秩序」は望むでしょうが、その外部に対する関心は薄くなってしまいます。「道徳」とは、自分と関係のない「他者」とどうやっていくかの作法でしょうから、同質的なオタク空間に自閉するようでは、道徳をそこに介入させる契機は全くなくなってしまう。
したがって、やはり「アイドルに権威を!」と言いたいわけです。アイドルが権威を持つ。ここで言う権威というのは、自分をなんらか超え出る、自分では敵わない、自分より上のもの。そういう「超越的他者」が道徳成立の条件です(と、確か社会学大澤真幸も言ってたような)。ただ、それによって選択される方針が社会と齟齬を起こしてはいけない。ベリや℃-uteでは道徳を持ってくるのは厳しいと言わざるをえない。今一番なんとかできそうなのはガッタスかなあ。単純だけれども、「アイドルが頑張っているから俺も頑張ろう」っていうふうには持っていける。なんらか「人間性」とか「内面」とか「意味」みたいなものがないと、だめだなあ。
『「りしゃこの水着ダメ!」「萌えだけでいいじゃない!」』っていうのは、「マジヲタ」であれば菅谷というアイドルを「無垢さ」「純粋さ」あたりで権威づけていて、そこから導かれる規範から「水着」が逸脱しているから反発するんですね。一方「DD」であれば、たとえば「萌えるかどうか」が行動規範だったりするわけで、単に「水着は萌えない」という理由で反発するかもしれません。そんなわけで、同じ行動でも違う規範によって起こっていることも往々にしてあります。ただ一つ大きな違いは、確認になりますが「DD」が同質的な仲間内のみでのルールにとどまるのに対し、「マジヲタ」は自分を超え出た存在を権威として行動規範が決まるので、「社会性」とか「道徳」が入り込む可能性があるということです。
トラックバックへの答えになっているかどうかよく分かりませんが、今のところこんな感じで整理しておきます。