やぐろだ

やぐの出た番組を編集したものを見る。
これ、どういうふうに見ればいいんだろう。
やぐがVTRを見ている映像ばかりが集められているのだが、やぐが映っているときしか集められていないので、VTRのほうは途切れ途切れで何がなんだか分からないのだ。
人は言語的情報が与えられると、ついそれに有意味性を求めてしまうが、上のように編集されたものを見ると、そのような見方では気分が悪くなる。意味の断片断片のみが与えられて、しかもそれが断片のみで終わってしまうのだ。だったら、意味を排してただやぐの映像と声にのみがっつくしかないわけだが、どうしても意味に反応してしまうので始末が悪い。
ただただ映像と音声の表層的側面にのみ感応する身体を手に入れればよいのか。「動物化」か。


例えばハロモニも、そのつまらなさを嘆くよりは、「面白さ」という意味をあきらめて、ただひたすら萌えを追求して見ればよいということなのか。
そういう見方って、明らかに思考力を衰えさせて、人をますますバカにするけれど、まあいいか、もうバカだし。