3つのベクトル

卒論で、90年代以降のアイドルについてこう書いた。
「…生身のアイドルを応援する選択肢としては、親しくなれる可能性のあるマイナーなアイドルを応援するか、あくまでメディアの中でのみ存在するものと捉えて<シミュラークル・アイドル>と同じように消費するか、アニメ・マンガより直接的に、文脈を読み込むという必要なしに感応できる生身の女性の身体を性的に消費するか、しか残されていないように思われる。」


モーニング娘。ハロプロは、当初マイナーアイドルであったが、国民的と言えるまでに人気を博することになった。しかし、結局はここで言う3類型へと回収されつつあるのだろうか。
モーニング娘。はマイナーアイドルに近くなってしまったし、ベリ工は言わずもがな。
メディアの中でのみ存在するシミュラークルアイドルに近いのが松浦とW。
松浦はアイドルの枠からはみ出つつあるが、これは能力的にそうであるということと共に、アイドルでずっとやっていくのは割に合わない世の中だ、ということでもあろう。歌手だとかタレントだとかになってしまったほうがいい。ところで矢口はさっさとそういう道を選んだ、ということなんだろうか。ソロの方がゴールデンのどうでもいい番組には出やすい。
Wはアニメ的な萌えの世界に接近していっているように見える。現実に存在しなくてもいい。現にキャラ&メルもアニメっぽくされてしまっているし。ただアニヲタもモーヲタも、一般人にも受け入れられうるという意味で、一番射程が広く、国民的、に近いのはWではないのかなあ。
そして昨日のメロンのエロスを見るかぎり、それは性的に消費されてたんじゃないのかなあ。ネタとして消費される「エロいふり」ではなく、完全にエロいもんねえ。本気だもん。それが岡パイに対してのように「アイロニカルな没入」であったらアイドルの権威は確保されるんだろうが、ただのエロだったら、他のグラビアアイドルと代替可能になってしまう。娘。の水着写真集の数々なんて、自らの権威を自ら剥ぎ取ってしまう愚行だったんじゃないのか。


というわけで、ハローは今そういう道をたどってるんじゃないかと、ライブ中に思ってしまった。
1.マイナーアイドル化
2.メディアで生きる実在感の希薄なアイドル化(松浦のようなタレント・歌手化と、Wのような虚構化)
3.グラビア・アイドル化(エロ化)
こういうのが、悪いことなのかは必ずしも自明ではない。ただいつも言っているが、アイドルとしての権威がどこかに確保できなければアイドルは滅びる。それはいやだなあって話。