映画『堕ちる』感想

12/17(土)LOFT9での上映会に行ってまいりました。
映画『堕ちる』、なかなか上映される機会がなかったのですが、今回タイミングが合い、上映会に足を運ぶことができました。とても面白い映画でしたので、ちょっと感想を、と思ったらだいぶ長くなりました。

ここからネタバレを含みます。
あらすじとしては、織物職人が地元のアイドルにハマる、という内容で、映画の長さとしては30分程度の短編です。でもその短さを感じさせない濃密な時間で、惹き込まれつつ、時折挟まれるアイドルオタクの内輪ネタに爆笑しながら観させていただきました。

ここから細かい感想ですが、一度見たきりなので、記憶があいまいなところもあります。ご了承ください。(何かはっきりとした誤りがありましたら、ご指摘くださるとありがたいです。)

桐生の街の織物工場(「こうじょう」というよりは「まちこうば」といった感じ)で働く、技術はあるがうだつの上がらない中年の男。町の理髪店で、シャンプーをしてくれた店主の娘に惹かれていく。彼女は地元でソロのアイドル活動をしていたのだった。
この、「めめたん」というアイドルとの出会いのシーンで、主人公が惹かれる一番初めのきっかけ、「めめたん」のアイドル性の端的な表現が、「スカートのふわりとした動き」だった、というのは重要だと思います。アイドルにおいて、アイドルが「動く」ということはとても重要です。アイドルにおいてはダンスが重要であり、アイドルが一般的には歌手の一形態でありながら、アイドルは場合によっては「口パク」をしてでもダンスをするのです。
軽やかな動き、は生命力・若さの象徴です。アイドルの衣装にスカートが多いのは、もちろん脚を見せるとか、デザインとしてのかわいさもありますが、アイドルのダンスによってスカート自体が動く、ということも大きな要素であると思われます。

主人公の男は、逆に「動き」がない。しゃべらないし、仕事場でも快活に動くわけではない。そして何より、表情も変わらない。そんな男が、「女の子のスカートのふわり」に、少し心が揺らぐ。浮き立つ。この出会いのシーンの描写はとても重要でした。

理髪店の店主にもらったチケットで、男は初めて地下のライブハウスで行われている「めめたん」のライブに行くことになる。チケットをもらわなければ、行くことはなかっただろう。自ら動く、ということのない人生になっている。
ライブの描写が秀逸です。ライブハウスの店員の無愛想な様子。ドリンクチケットをもらって、戸惑う主人公。中に入りざま、「1曲目からお願いしまーす」と、常連のファンに何やら得体のしれない棒を渡される(サイリウム)。
そして、男は恋に落ちる。「恋に落ちたの 苦しいほどに あなたのこと 考えてばかり」というめめたんの歌詞とリンクするように。
ライブ後、常連のファンに促されて握手をする男。家に帰って、押し入れの中から使っていなかったCDラジカセを取り出して、めめたんのCDを聞く。そこからはもう、堕ちていく。

この映画は、アイドルファンにとっては刺さる映画です。アイドルに堕ちていく経験は、自分の中で強く記憶に残っていることだから。たとえば自分だったら、もう15年以上前、テレ東のモーニング娘。の深夜番組を見ていて、堕ちました。CDを買う。ポスターを貼る。コンサートに行く。これはやばい、堕ちていくという感覚と、空も飛べそうな浮遊感と。

映画『堕ちる』の「おちる」は、恋に落ちるとか、堕落するとか、いろいろな意味をかけているけれども、一方でその下へのベクトルは、アイドルというものの輝きが上へのベクトルであるということを逆に引き立てています。アイドルファンは、アイドルと接している以上、堕ちると同時に上がっています。アイドルが生命力の象徴であるように、アイドルライブでアイドルの曲に合わせて動くファンは、そこにおいてアイドルと同じ生命力を手にしています。ヲタTという非日常の衣装をまとって、救われています。

めめたん現場に足を運ぶようになった男は、いつしかヲタTを着て、ファンのオフ会にも参加するようになる。常連のファンに促され、説教されて、男はアイドルファンの身体を獲得していく。男の日常が変わっていく。(アイドルファンになることで、かえって理髪店にいる素の女の子には顔を合わせづらくなる、という描写はとてもよかったです。)
部屋にポスターを貼りまくる。めめたんツイッターを常時チェックする。歩きながらめめたんの曲を聞く。その足取りは軽くなっている。男の生活に、身体に、「動き」が生まれる。そして、表情もやわらいでいく。

男はめめたんのために何かできないかと考える。そして、めめたんの衣装を自分で作ろうと思い立つ。自分が持っている職人としての技術を使って、アイドルのために衣装を作る。ここにおいて、日常と非日常が接続される可能性が生まれてきています。普通、アイドルに堕ちる現象というのは、非日常であるアイドルが日常を侵食しすぎて、その生活が継続困難になるというものです。金と時間をアイドルに費やし過ぎて、にっちもさっちもいかなくなる、というファンが、多分かなりの数、実際にいます。
ただ、男は仕事で培った技術(日常)を、アイドルの世界(非日常)に生かそうとする。ここには可能性があると感じたし、この段階で、頼むからこの映画、ハッピーエンドで終わってくれよ、と思っていました。この映画の普遍的なメッセージとして受け取りたいのは、自分が心の底からしたいと思ったことが、すごいものを生み出していく原動力になる、ということです。なんとしてもめめたんの衣装を作りたい、と思ったことが、この男を輝かせる。とは言え、仕事での技術を使いながらも、仕事そっちのけでアイドルの衣装づくりをしているのだから、やっぱり男は、堕ちていっている。

めめたんに衣装のプレゼント。それは成功した。
けれども、男は手にケガをしてしまう。ケガをしたのは、ライブ中にペンライトを落として、床をはいつくばって探しているときに、曲に合わせてジャンプしたファンに手を強く踏まれてしまったから。これが男の、完全に堕落するきっかけとなってしまう。ここはとても象徴的な場面でした。
男がケガをする(堕落する)のは、アイドルファンがジャンプしたからです。アイドルファンは、アイドルの動きに合わせるようにジャンプする。でも、アイドルファンは空を飛べないから、空を飛べそうなアイドルの世界にあこがれてジャンプをしても、その後すぐに落ちてしまうのです。男もまた、アイドルの世界にあこがれて、飛ぼうとしたが、束の間の浮遊感の後、堕落してしまう。だから、男のケガの理由がアイドルファンのジャンプだったというのは、必然的なのです。

男は、職を失う。めめたんは、東京でデビューすることになり、桐生を離れることになる。
理髪店の店主から、男がめめたんに送った衣装が、返されてしまう。

衣装は返されたくなかったが、男にとってアイドル(的世界)との接点は、もうその衣装しかなかった。
だから、男はその衣装をまとって、街を徘徊する。その気持ちは、痛いほどわかります。もういないめめたんに思いを馳せながら、そのめめたんの名残・痕跡であるところの衣装を着るしかない男。もう、めめたんはいない。自分にはもう、何もない。
男は、働いていた町工場で、めめたんの衣装を着たままで、首つり自殺を試みる。だが、首にかけた布が切れて、男は床に落ちる。自殺は失敗する。男は嗚咽し、「めめたぁぁぁん……」と悲しげに叫ぶ(主人公のこの映画唯一のセリフです)。みじめで滑稽である、が、観客としては「ああ、助かった」という安堵感があり、この滑稽さは笑いを生みました。

そこに出くわした工場の経営者。男の行動に驚きつつも、着ている衣装の出来栄えに目を奪われる。これは、いける。

映画のラスト、めめたんではない別のアイドル現場。2人の男がライブの様子を遠巻きに見ている。主人公の男は随分スカした格好をして、音楽に体を揺らせている。アイドルの美しい衣装を売りにして、2人はどうやらアイドルの運営側になってしまったようだ。

最後、大きな字幕で「OCHIRU」と出る。「おちる」にはいろいろな意味がかけられている、という表現であるのとともに、既存の「おちる」に新たな意味を付与したいという思いも感じる字幕である。

「おちる」という言葉について考える。
落ちるためには、まずは浮かばなくてはならない。浮かんでいるものがなければならない。
この映画、思い返せばその、落ちる(下へのベクトル)と浮かぶ(上へのベクトル)がよく考えられた映画だと思った。
男の恋のきっかけは、スカートのふわりとした浮遊感だった。それに少しだけ浮き立った男の心が、完全に恋に落ちるのは地下の空間だった、というのも面白い。
そして、「恋に落ちる」は、落ちると言っておきながら、その後はふわふわした浮遊感・高揚感を伴って、昇っていく感じがする。
アイドルは少しだけファンよりも高いところにいて、ファンを煽ってジャンプさせる。アイドルの世界に救われたかったら、少し背伸びをして、またジャンプをして、アイドルに合わせる必要がある。けれども、ジャンプをしたら、その後、落ちる。
アイドルの世界にすがっていたら、いずれ、堕ちる?
堕落した男が自殺を図って、失敗する。天に召されることなく、床にたたきつけられる。最低にみじめな瞬間である。が、ここでは落ちることが、生き残ることを意味している。底の底まで落ちきったら、あとは浮かぶばかりである。男はアイドル運営側となることで救われるのだ。

しかし、これは、ハッピーエンドなんだろうか?
主人公の男のスカした感じ、絶対これ、何かまた落とし穴が待っているんじゃないだろうか。
そういった余韻まで残す、いい映画だと思います。アイドルとそのファンの世界に対して極力価値判断を持ち込まず、一方でアイドルファン文化についての理解はした上で、アイドルファンにも、またアイドルファンでない方にも刺さるメッセージが込められた映画だと思います。

アイドルファンの活動は、感情の絶対値が大きいのです。アイドルファンが長い人ほど、空も飛べそうな気分と、地獄に叩き落されたような気分を知っているでしょう。浮かべばいずれ堕ちるし、落ちてもいずれ救われる。
人生って、そんなものですよね(とってつけたように)。