アイドルの領域 その1

こんにちは、アイドル評論家の己哉(おのや)です。

最近アイドル現場に行きすぎて、レポを書く暇もない始末ですが、思い出し思い出し、書いていきたいと思います。と言っても、なんだかいろんなアイドルの記憶がごっちゃになって、自分の妄想も加わって、なんだか夢うつつの状態です。今回は、こんなアイドルを紹介します。記憶違いがあったらすみません。

 

わくドキっ!

地下アイドルの聖地、秋葉原。駅前の大通りと平行する、比較的人通りの多い道沿いの建物の地下に、彼女たちが活動拠点とするライブハウスがある。ライブハウスといっても、もっぱら地下アイドルが日替わりでライブを行う場となっていて、客が飲食を楽しみながらライブを見られる作りとなっている。

地下へ降りる階段の手前に、チョークで書き込める簡易な立て看板があり、「わくドキっ!かおりんりん生誕祭」と書かれている。

 

わくドキっ!。

グループの正式名称は「Waku×2 Doki×2(わくわくドキドキ)」。長いので公式に決められた略称が「わくドキっ!」である。こちらの方が使われる頻度が高まってしまい、正式な告知の文面にも「わくドキっ!」あるいは「わくドキ」と書かれることが多くなっている。しかしファンの間ではいつのころからか「わきわき」という愛称が広まり、もっぱらファン同士の会話で用いられている。

メンバーは5人。神脇かおり(かみわきかおり)、大川綺羅(おおかわきら)、岩切沙英(いわきりさえ)、水原淡希(みずはらあわき)、脇坂めぐみ(わきさかめぐみ)。結成半年で、固定のファンは50人を超えるようになったが、まだまだ駆け出しのアイドルグループである。固定客100人までを抱えるアイドルグループはたくさんいる。100人を越えたところから、メジャーへの希望が出てくるのだ。CDを複数購入させると言ったって、一人が買える枚数に限りがある以上、まずは地道にファンを獲得していくしかない段階と言える。

 

イベント開始の19時を迎えようとしていた。椅子に座って飲食をしながら開演を待つファン。ステージ前方で待機するファン。平日の夜に、40人ほどのファンが集まった。メンバーの生誕祭と言えども、まだこの人数である。しかしある意味、皆が顔見知りでアットホームな雰囲気となりやすい人数ではある。集団の中心で、リーダー神脇のメンバーカラーである赤のサイリウムをまわりのファンに配っていく男性がいる。(みんなキンブレ持ってそうだから、いらないんじゃないのかなあ…)と思ったが、半ば強引に配っている。彼が神脇トップヲタのプルさんだな、とすぐに分かる。

 

昨日、イベント前日恒例のUstream配信が生放送で行われた。「わくドキ」マネージャーの刈谷が、メンバーを集めてイベントへの心構えを説くのである。本格的に活動をしている強い運動部のミーティングといった感じで、緊迫感のある、いわゆる「ガチ」感を演出している。

「…というわけだから、みんなこれまで以上に脇を締めていかないと。いいね!」と刈谷は言った。いつにもまして語気が強めであるのは、先日の事件のせいだろう。同じライブハウスをよく使用していた顔なじみのグループ「ラブコネ」のメンバーが、ファンとの私的な交遊が発覚して、グループ自体が活動休止に追い込まれたのである。Twitterで、あるファンに私的な内容のメッセージをDMで送ったつもりが、フォロワー500人に向けてツイートをしてしまったのだ。活動休止と言っても、再開の見込みは全くない、実質上の解散である。もうすでにメジャーな人気を獲得しているアイドルであれば、もしかしたらメンバー個人へのペナルティのみで済ませられるかもしれない。しかしマイナーなアイドルであれば、そのグループ自体を存続させるよりは、また新たなグループを立ち上げるなどしてしまった方が手っ取り早いことが多いのだ。

「うちのメンバーに限ってそういうことはないと信じているけど、くれぐれもファンの方から何か誘われたり個人情報を聞かれたりしても、一切応じないように。いいね。念のために言っておくけど、もしそうしたことが発覚したら、それなりのペナルティを考えているから、疑われるようなことも一切しないよう。いまは本当に大事な時なんだから。」

メンバーの顔を右から左へ一人一人覗き込むようにして、刈谷は話していく。左端のリーダー神脇が、ひどく神妙な顔つきをしている。それにしても、このセリフをUstでファンに向けても発信してしまうのはすごい。ファンに対して何も包み隠さない誠実さであるとともに、ファンもアイドル側に巻き込んで、アイドルが人気を獲得するための責任を負わそうとする、常套手段とも言える。

 

イベントが始まった。1曲目はデビュー曲、グループ名と同じ「Waku×2 Doki×2」。サビの「わくわくドキドキ、タカナルときめき」のところで、拳を握って脇を開け閉めするアイドルによくある振付けが登場する。ベタだが、とても盛り上がる。2曲目はセカンドシングル、「ワキメモフラズ」。激しいダンスが売りの曲だが、もう一つの注目点は、落ちサビの「コブシ挙げて、前へ進もう。コブシ挙げて、空を掴もう」という歌詞をメンバーがアカペラで歌い上げるところである。そこではメンバーが右手を挙げるのだが、左手で右脇(わき)を隠すのである。これが感動的な歌詞とのギャップを生んで、ファンが異様に盛り上がる。ついにはファンが右手で差し出すケチャも、いつしか左手で右脇を隠しながら行われるのが通例となってしまった。3曲目はシングルカットされていないオリジナルソング「快調Hairでいこう!」。この曲ではメンバーが存分に脇を見せてくれるので、ファンからは「ご開帳ソング」としてありがたがられている。

 

言うのを忘れていたが、「わくドキ」は、「わき毛が生えているアイドル」である。それぞれがメンバーカラーに染められたわき毛をよきタイミングで見せていく。神脇は赤、大川が黄色、岩切が緑、水原が水色、脇坂が紫だ。わき毛は染めているのではないらしい。生えてきた時からこの色だったそうだ。日常生活でわき毛を見せるわけにはいかないので、夏でもノースリーブを着ることはなく、ファンの前でのみ脇を晒すことがプレミア感を生んで、ファンの熱狂を呼んでいる。さらに特筆すべきは、ライブ後のイベントで、メンバーのわき毛を抜くことができる。一時期「抜けるアイドル」として「Naverまとめ」にも簡単な記事が載ったが、さほどファンが増えなかった。マニアックすぎたようだ。

 

数曲のカバー曲をはさんだ後で、ファン有志が用意したケーキがステージ上に持ち込まれる。ファンからハッピーバースディの歌のプレゼントだ。もしかしたらと思ったが、「ワッキバースディトゥーユー」と歌っている。…寒い。寒いが、内輪空間なので、なんか許されている。

最後に、リーダー脇坂が、自分で選んだ曲をソロで2曲歌い上げた。もちろんそこでは用意されたサイリウムが会場を赤一色に染め、予定調和ではあれ、感動的な空気が会場を包んだ。

 

ライブ後はお待ちかね、接触イベントのお時間である。物販でCDまたはグッズを購入すると、「わくわく券」か「ドキドキ券」を1枚もらえる。「ドキドキ券」は「握手券」のことだが、「わくわく券」は、わき毛を1本だけ抜ける権利を獲得できる券である。当初ファンは握手も楽しんではいたのだが、次第に「わくわく券」だけがはけるようになり、実質現在のイベントは、ファンが粛々とメンバーのわき毛を抜いていくという「脱毛イベント」となっている。

 

さて、抜いたわき毛をファンはどうするかということだが、当初「これどーするよ」と思っていたファンも、何らかの形で保存するのが自然だということになり、トレーディングカード用の透明なシートに入れた上で、アルバムのような形態で保管するようになったため、しばらくすると「わくドキ」公式グッズとして、「夢アルバム」が発売された。あ、書き忘れていたが、「わくドキ」ではわき毛という言葉は一切使わない。「夢毛(ゆめげ)」と呼んで、ファンに夢を分けてあげるイベントという体をとっているのだ。

ファンも達人級になると、抜いた夢毛を見れば、今のメンバーの状態が手に取るように分かる、らしい。知らんけど。

 

さて、イベントを重ねるごとに、人気のあるメンバーからどんどんわき毛、いや夢毛が少なくなってくるという問題が発生する。ついに先日、リーダーの脇坂の右脇が危ないということで、公式ブログにて、次回イベントより左脇投入という告知がなされた。左脇解禁のイベント日は、観客が微増したという。

また、夢毛を抜くのは一本まで、は暗黙のルールだったが、ある時「NAVERまとめ」を見て参加した新参のファンが一気に5本抜くという暴挙に出て、その場で出禁になるという事件(ドリ5事件)が起きたため、その後は公式に「一本ルール」が設定されることとなった。さらに、なかなか夢毛をつまめないファンがイベントの進行を滞らせるという事案が発生したため、つまむチャンスは3回までというルールが追加された。「い~ち。にぃ~い。さぁ~ん」のメンバーのかけ声に合わせて夢毛をつまむ。一度つまめたら、そのターンで抜けなければ失敗。もう一度トライするためにグッズを買い直さなければならない。ちなみに毛抜きなどの道具の使用は一切禁止である。すると今度は自らの爪の形を、よりつまみやすい形状へと仕上げてくるファンが現れた。親指と人差し指の爪を伸ばした後で、親指の爪と人差し指の爪が接する部分を直線的に仕上げてつまみやすくしてきたのだ。これもまた運営サイドに禁止をされ、つまむ前の爪チェックがスタッフの業務として追加された。何か異常が見られる場合は、その場でスタッフに爪を切られるか、イベント不参加となる。

 

さて、脱毛イベント(夢をつかむイベント)に参加する。デビューシングルを買って、「わくわく券」を手にし、自分は水原さんの列に並ぶ。身長は小さいながらもダンスのキレがあって、目を引かれたからだ。いざ本人を目の前にすると、ものすごい背徳感に襲われる。しかしここはぐっとこらえて、アイドル―ファンの関係をしっかりと演じなくてはいけない。

何と言っていいか分からず、まごまごしていると、「こんにちはー、初めてですかー?」と能天気に話しかけてくる。ほんと、こういうお店は初めてです、って感じです…。「しっかり夢をつかんでくださいね!」と言われると、何かその空気に乗りやすくなって、助かります。「頑張ります…」とだけ言って、つまみにかかる。

いざアイドルの脇(水色)に対峙すると、たじろいでしまう。しかし勇気を振り絞って、「い~ち」失敗。「にぃ~い」またも失敗。「さぁ~…」…あ、つまめた!…と思ったら、すべって失敗。「あ~…」と水原さんは残念がるが、ふと我に返ると、もし夢毛を手にしたとしてもそれをどうしてよいやら分からない。むしろこれは失敗しておいてよかったのではないか、と思い直す。危ない危ない。そういうことってよくある。自分がそこまで熱を持ってない現場で、他のファンがうらやむようなものをもらってはいけない、という感覚。自分がもらっても、その価値を十分に享受できない、という感覚。「また来てくださいねっ!」と言われると、拒否はできないのであいまいにうなずく。こういうところ、自分はファンを演じきれない。

ふと周りを見れば、夢アルバムに夢毛を収納していくファンたち。みんな成功率高いんだなあ。どんどん毛をつまむ、というスキルを上げていくファンたち。うん、うらやましくない。でも、アイドルの身体の一部だったものを所有するって、ファンの所有欲というものを最もよく満たすあり方なんではないのか。その夢アルバム、あとでどうすんの、って外から言ってもしょうがないことだ。

 

何だか不思議な気持ちで会場をあとにした。わき毛を抜くというマニアックでエロティックなイベントが行われているにもかかわらず、イベント自体はとても和やかな雰囲気が漂っていた。「夢毛」という言葉でカモフラージュしていることもそうだが、アイドルとファンがしっかりと演劇をしていて、変に背徳感だとか、エロスを露わにしないことで、アングラ感を回避しているように思われた。それでもかなりの内輪空間であることは間違いないのだけれど。

そんな感じで、すごく面白いグループだけど、これ以上ファンが増えようもないやり方な気はする。マネージャーさんはもっとファンを増やしたいんだろうけど、このイベントを続ける限り、ファンの増加は望めないかな、とも思う。

 

 

数日後。

公式ブログにて、リーダー神脇のグループ脱退が発表された。どうやら恋愛スキャンダルのようだが、詳細は不明。リーダー神脇は、脇をきれいに剃り上げた画像を個人のブログにアップして、自らも脱退を宣言した。わき毛というグループのアイデンティティを自ら捨て、アイドルの夢を捨て、普通の少女に戻るという。

その翌日の三流芸能スポーツ紙に、小さく「脇が甘いアイドル」という見出しが載った。芸能ニュースサイトでも話題になった「わくドキっ!」は、その後、ファンが微増したという。

(続く)