映画「Wake Up Girls!」ネタばれ感想メモ

映画「Wake Up Girls!」を見てきた。感想を簡単に。


冒頭、誰かを幸せにするということに3つのタイプがあるというナレーション。
多くの人を幸せにできる人、自分の周りの身近な人を幸せにできる人、自分を幸せにできる人。

当然アイドルは1つ目に分類されるわけだが。


仙台でアイドルグループを立ち上げる、その最後のメンバーとして、I-1クラブの元センター、島田が加入する。I-1クラブはAKBそのままといった感じで、劇場を持ち、制服っぽい衣装で、ミリオン連発で、東京ドーム公演を決めたアイドルという設定。

島田は何かわけあってI-1クラブを脱退して、アイドルはもうやらないつもりだったのだが、アイドルをもう一度やると決意するところは、映画のクライマックスだ。ここは大事。

事務所のマネージャー(映画の主人公と言っていい)は、人を幸せにできる人は限られる、おれも(君の姿を見て)励まされた、と島田にメンバー加入を勧めるが、身近な人も自分さえ幸せにできない、と一旦は拒絶する。

しかし、Wake up Girls!(WUG)に入った友人が、事務所社長の金の持ち逃げ(?)で悲しむのを見て、I-1時代に仲の良いメンバーが悲しんでいる場面を思い出し、それがきっかけとなってメンバー加入を決意する。

このアイドル復帰の理由づけで島田が語ることが面白い。「あきらめたら後悔します」と言った後で、「自分を幸せにしたいから」アイドルになりたいというのだ。アイドルを一旦やめた少女が、「自分を幸せにしたいから」もう一度アイドルをやると。ここは、物議を醸すところだよね。

アイドルってのはどう考えたって「多くの人を幸せにできる人」であって、マネージャーの松田も、「人を幸せにできる人は限られる」、だから頼む、というわけだが、それになびかなかった島田は「自分を幸せに」するためにアイドルになる。

参考:「アイドルの動機づけ問題 〜アイドルの使命とは何か〜」http://d.hatena.ne.jp/onoya/20130908

I-1クラブという、多くの人に対する使命を抱えそうなグループに属していた島田が、自分を幸せにするために、というのは面白い。

幸せになるためにアイドルになって、幸せになって、多くの人も幸せにできたら、理想形だよね。でもこういう物語は、ファンへの免罪符を与えるという批判的な見方を呼ぶリスクを抱えている。

しかし一方で、いまアイドルになりたい少女たちは、やっぱり幸せになるためにアイドルを目指していることも事実。映画は結局デビューライブを迎えるまでで終わる。ここからのアニメの展開が注目される。

ところで、アイドルグループを立ち上げるにあたって、事務所社長のアイドル観がいくつか示されていた。すなわち、アイドルは物語=可能性のこと。あるいは、金のにおいがしないとダメとか。メンバーに「あなたたち、処女?」と聞くとか。

あるいは、グループ名と同じラブホテルが近くにあって、そこから名前取ったんかい、みたいなところも含めて、事務所社長はアイドルの負の側面の象徴みたいに機能しているんだけど、結局その社長は蒸発している。

ということは、これから描かれるWUGは、そうじゃない、ということなのか。うーむ。
あともう一つ気になるのは、有名な元アイドルが別グループに加入するときって、すごく拒絶されそうな気がするけど、それは全く描かれないのね。どう考えても、島田におんぶに抱っこで、ある程度売れるよね、間違いなく。
でもマネージャーはそれを告知してる風がない。たまたまアイドルヲタがデビューライブで島田を発見してアンコールをしていなかったら、WUGは存続しなかったかもしれない。


WUGは、声優を一般人から募集して、キャラクターデザインも声優をモデルにしてか。テニミュとは逆の方向だけど、いずれにしても最近よく見る3次元と2次元のコラボですね。声優と、声優が演じるキャラクターの下の名前は同じになっている。

たしか映画冒頭にアイドル戦国時代っていう言葉も出てきていたし、「タチアガレ!」という曲名も、あるいは「Wake up」も「上行く」っていう音だし、そういうところに垣間見えるアイドル観も含め、今後のアニメの展開に注目したいです。

あとすいません。これまでの声優オーディションとか、あとアニメ1話もちゃんと見れてないので、いろいろ勘違いあったらすいません。ひとまずおしまい。