℃-ute舞台メモ

寝る子はキュート」23日公演で思ったこと。


・前半でのアイドルとファンの隠喩
甘いものは一日2杯まで、って、いかにもアイドル的なルールだ。
一方、ひたすら「まずいんじゃないのー」を繰り返す長谷川については、いまやアイドルを殺してしまった「負の記憶」を背負ったヲタとして見えてくる。またパパというゲームの後で「パパってよばれるのがこわい」と言うバカ浩も、ヲタらしいと感じる。


・梅田が名前を忘れること
夜になり、来夏(舞美)がいないところで梅田が中島に「規則正しい生活もいいけど…」「夜更かしして普段話さないようなことを話したい」と言う。このあと寝てしまった岡井を運ぶために管理人を呼ぶ梅田は、なぜか管理人の名を忘れている。さらにその後駐在の名も知らない梅田は「なえむらなえむら…」と名を唱えながら2階に上がっていくのだが。ここで「名前を知らない」ということが、ストーリーの全体からすれば特に必要ではないことが違和感として残った。
ここでは、アイドルのルールに忠実に従おうとする来夏というアイドルモデルに対し、そうしたルールを破ろうとするアイドルモデルの梅田には、管理人(事務所)のことや、駐在(ここでは…しょうがない、マスコミやらなにやら、「火事」をかぎつける者たちの象徴としましょうか)のことが頭にないという隠喩なのかと、深読みすることができそうだ、と思いました。


・星を見るという行為
梅田が風呂上りに中島に「星すごいよ〜」というのだが、中島は「後で見る」というのだ。ここに何か意味が込められている様な気がしてならない。結局のところ「星」は死んだアイドルの象徴なのだが。


・最も謎めいたシーン
おそらく舞台を観劇した多くの人にとって印象に残っているシーンだと思うのだが、岡井たちが「she」というゲームで夏美(死んだアイドル)を呼び出す前に、すっと管理人良平にライトが当たり、謎めいたセリフをはく。「あいつら、どんな夢見てるんだろう…俺…。」そしてすぐに今度は中島が、「あの人、何を見つけたんだろう…わたし…」という対句的なセリフを放つ。この意味は?
管理人良平(事務所)はアイドルのことを思う。アイドルはどんな夢を見ているのだろう、我々事務所はどうしていったらよいのか。一方、アイドルである中島。死んだアイドル(めーぐるでも辻加護でもよい)は、アイドルをやめた代わりに何を得たのだろう、私はどうしていけばいいのだろう。事務所もアイドルも、アイドルについての問いにさいなまれる。だからこそ、死んだアイドルの声を聴こう、ということになる。そんな解釈をしてみます。
アイドルとしてのルールをまとっているがゆえに、例えば「火事」を起こしてしまったときにスズメバチ(ストーカーやらマスコミやら)に狙われてしまう。矢口でも藤本でもそうだが、「アイドルは恋愛をしない」という過剰なルールをまとっているがゆえにアイドルは死を選ぶしかないのだ。「長さん」が言うように、そうしたアイドルの火事に「目をつぶる」というのはひとつの解決策である。「わたしがオバさんになっても」を歌って、「アイドルを人間扱いしてくれ」と訴えた夏美は成仏(という言い方が正しいかどうか分からんが)して星になる。
しかしながら、「火事」を必死で隠すようになった来夏は、今度は困ったことに「虚言癖」を抱えることになる。僕らは世渡りのうまくなってしまった来夏を好きになれるだろうか。多分、ルール、ルールと言っていた時の来夏の方がスカートのめくり甲斐があるんだろう。嫌われたとしても、思い切り殴られたいと思うだろう。


・「キュートたちは元気です。」の「たち」
最後の管理人良平のセリフ、「こどもたちは、キュートです」「キュートたちは、元気です」「こどもたちは、元気です」について。真ん中の、「キュートたちは、元気です」は、物語内からは出て来ようのないセリフである。メタ的なセリフである。こうやって虚構と現実を混交させて、舞台から℃-uteのライブへと自然に移行させていく手法はハローの舞台の常套手段だが、やはり見事。



結論。「寝る子はキュート」は、伝説になるんじゃないかなあ。例えば「タンポポ祭」が、その場にいなかった者においてさえヲタとしての「依代(よりしろ)」になりえているように、℃-uteヲタにとっての「寝る子はキュート」が、℃-uteヲタの「われわれ」意識の重要な記念碑になる気がする。
『…たとえ実際には体験していない出来事であっても、戦争などの過去の記録を見聞きすることで行われる「追体験」を通じた、集合的記憶の呼び出しによって、「私たち」という共同性を手に入れることができる…』(鈴木謙介「ウェブ社会の思想」より)
鈴木謙介は「ウェブ社会」においてはこうした「メモリアルは消失し、私たちは集合的記憶ではなく、事実を元手にした連帯を求めるようになる」と言う。現場から波及的に起こるムーブメントって、それへの抵抗になるんじゃないのかなあ。だから僕は徹底して「現場系」でありたい。ライブにおいてある「生」「リアル」「身体性」に僕は涙したんです、多分。