ヲタ視線(3-②)

さて、具体的な例に落とし込んで、「解釈可能性」「操作可能性」という概念を使って検討してみる。具体例は、まずは「石川ってウンコするの?」を扱ってみる。(参考http://www.media-k.co.jp/jiten/wiki.cgi?%A1%E3%A4%A4%A1%E4#i14
下のような図になる。

視線① 人間だからウンコをする。疑いの余地なし。
視線③ りかちゃんは(神・アイドル・虚構etcだから)ウンコしないよ!(昔のスターへの視線)
という形のベタ視線。
さて、ネタ視線はどうなるか。
視線② 「ウンコをした10^-36秒後に虚数時間の量子宇宙に転移するから「実質的には」しないこととおんなじ派」「石神がその見えざる手により何処へと運び去るんだよ派」に見られるように、「しないよ」を過剰に読み込み、現実的に解釈しなおそうとする。
視線④ 「ウンコ」に対し、「ファンタジー」「ビューティー」という名付けの操作をすることによって虚構の世界に位置づける。「ウンコ」を「ウンコ」でないものにしてしまう。宮台真司風に言えば、「無害化して馴致する」という感じか。

このように考えれば、チャーさんの「深読」「茶化」でもいいじゃねえかということになるわけですが、上記のような「解釈可能」「操作可能」ではない場合も考慮すべきではないかと思うわけす。
視線②「しないよ」が解釈不能な場合―「するにきまってんじゃん、ばかじゃねーの。理解できん」
視線④「するよ」が操作不能な場合―「何ベタなこと言ってんだよ、つまんねーなあ」
…というような否定的な視線も生まれうるわけです。つまり、視線②・④をネタ視線とは言っていますが、矢印の先の対象に対して肯定的な視線と否定的な視線の2つがありうる。そしてそれは、矢印の先の対象が「解釈可能性」「操作可能性」の範疇にあるかどうかによる、ということです。
視線②アイドルの虚構的側面をヲタの現実的観点から(肯定的に/否定的に)とらえる。
視線④アイドルの現実的側面をヲタの虚構的観点から(肯定的に/否定的に)とらえる。
「深読」「茶化」ではこのニュアンスを伝えることが出来ない、ということで、僕は「解釈可能性」「操作可能性」という言葉を使います、ということです。