掌の上

久々に松浦紺。
中野サンプラザ、会場外はだいぶ地味な雰囲気。
ところで、中野ブロードウェイの公式写真のお店はどこ行ってしまったんだろう…
つぶれたのかな…?


さて、夜公演。
2階通路で、動く気満々だったが。
歌手松浦。あー、もう、決定事項ですか、ってなライブでした。
着席させて、「ね〜え?」をやられて、はっきりしましたね。
自分は歌手だ、という松浦の意志。
もうアイドルじゃないよ。
いやまあ、もちろんアイドルのコンサートでもあるんだけど、でもね。そこに意図ははっきりとあった。「ね〜え?」を踊らせない、踊らないよ、ってのが。
「新しいチャレンジ」って言っていたけど、やはり、歌で食っていくっていう意識がはっきり見えましたね。実際、歌うまいし。声量も、意識して出していたけど、よく出ている。ああ歌手だなって感心できる。
我々は、いつもどおり完璧なパフォーマンスにひれ伏した。
今日感じたのは、まあ去年も感じたことなんだが、完全に松浦の掌の上で踊らされる我々だ。
で、その松浦世界を崩さない形でのみ自分達は騒げると。
例えば、サポートメンバーの楽器部隊にがっつくとか、松浦が望むとおり、「えーっ!!」と叫んでみるということ。ヲタには、2、3年前には「初めて唇を重ねた夜」の静寂を切り裂くヲタの声があったもんだが、いまや誰もそうするものはいない。黙らされている。ヲタ芸も消え去った。ヲタの側の意識なのか知らないが、PPPH打ってもいいタイミングで、ヲタが振りに転向している。ヲタ芸、明らかに打たない方向性が見える。
あくまで、松浦の秩序の中で、松浦の思い通りに動かされているヲタというのを強く感じた。
それで安心感を得られる、松浦ライブは。
我々の視線は、アイドルに対して時に対等であったり、上から下だったり、下から上だったりするが、今回松浦に対しては完全に下から上の視線だ。抗えない。歌手という権威をまとった松浦に、かなわない。そういう、確固たる権威に包まれる安心感が、あや紺の雰囲気だったと思う。
それは確かにひとつのいいあり方のように思えるが、自分としては「ね〜え?」を踊れないあや紺はきつい。満足できないあや紺はないけれども、これはベストじゃなかった。しょうがない。それが今の松浦だから。とはいえ、ここでも、ハローの中の一人のアイドルが、やはり権威を復活させたな、という印象はあって、それはハローの流れとも一致するなあとは感じている。ただ、自分は2003年の、「ね〜え?」で、アイドル存在として高みに立った頃の松浦が一番好きだ。


松浦の掌の上でいいようにいじられるライブ。Mなヲタにとっては全く問題ないところだが、アイドルをこきおろしたいSの部分もヲタにはある、それは事実。
夜紺終了後の会場外、「Grace」というバンドのライブでヲタ芸が炸裂していたが、これはもう完全に歌手つぶし。自己陶酔の現場でした。それも承知でライブしてたんだろうけど、ヲタの恰好のえさになっていました。それを見ると、やっぱりあや紺で完全燃焼はできないよな、と思った。
生演奏・着席観覧のおかげで、のれる曲がメドレーに押し込められて窮屈なセットリストになっていたし。そこは、生演奏で歌いたいのと、ヲタ向けに激しいのと、妥協してバランス考えたんだろうけど、悪くいえば中途半端だよね。それはそれで、うまくまとめちゃうのがまた、松浦なんだけどさ。