アイドルと結婚、およびアイドルの期間限定性について

13年前、矢口真里のファンになった自分は、矢口と結婚する方法は何とかないものか、割と本気で考えたことがある。アイドルファンは、もしアイドルと結婚できますよ、という条件下におかれたら、(それがうまく続かないという予感があったとしても)結婚するものだと思う。一方で、好きなアイドルが誰か他の芸能人と、あるいは一般人と結婚されようものなら、やはりショックを感じるものだ。これはもういかんともしがたい。
アイドルが恋愛することについては、たとえそれが露見したとしても、まだチャンスはあると思う余地がある。その恋愛が破局を迎えれば、(処女性という問題は措いておいて)一旦振出しに戻る。恋愛はまだ不可逆な事態ではない。しかしそれが結婚となると、それが「ゴールイン」と言われるように、とりあえず終了である。その意味では、アイドルにおける結婚は、恋愛よりもはるか先にあるタブーであるはずだ。


ところで、地下アイドル姫乃たまの以下の文章は胸を打つ。「ファンが結婚ラッシュです。」から始まるこの文章の切なさはなんだろう。
http://realsound.jp/2014/10/post-1621.html
「姫乃たま『地下からのアイドル観察記』アイドルはなぜ“恋愛禁止”を掲げるのか 姫乃たまが自身の体験から見いだした答えと不安」


アイドルとファンは合わせ鏡のようなもので、アイドルが恋愛や結婚をしたらしばしば「裏切り」という言葉をもって評されるのと同じように、アイドルにとってもファンが自分のもとを離れていくのにそれ相応の感傷を抱いている。


私生活に別の顔を持っているのは、アイドルだけでなく、ファンも同じようです。ファンがアイドルに夢を見ているように、アイドルもまたファンに夢を見ているのです。


「裏切り」とは、ごっこ遊びからの離脱、そのルールの外に出ることを意味する。ふーむ。つまりアイドルの問題は、いつまでもそこにはいられない、という期間限定性にあるのだろうか。しかしもちろん、その期間限定性こそが、アイドルの最も強い訴求性でもある。


逆に、死ぬまでその関係性が保てるという可能性はあるだろうか。
以下は、「歌って踊り、読経する尼さん8人組」、アマゾネスのブログより。

http://ameblo.jp/amazonesu-official/entry-11942207289.html
アマゾネスの魅力とは?斎藤美海


私たち、アマゾネスは、お墓までファンの方々と付き合えるんです。
どちらが先に死ぬかはわかりませんが、死ぬまで、たのしい関係でいられます。
ただし、アマゾネスが終わらない限り!!!
(改行は無視して引用)


ふーむ。しかしそれよりも、氷川きよしである。
http://d.hatena.ne.jp/houkoudou/20141019/p1
氷川きよし15周年コンサート 日本武道館周辺雑感(前編)−腰の曲がったおばあちゃんまで集結させる求心力−(演歌記者・咆哮堂さんのブログより)


これこそ、死ぬまでの付き合いということだろう。昨年演歌歌手のイベントをはしごして見たことがあるが、おばあさんたちの「おまいつ」の方々の幸せな笑顔が忘れられない。氷川きよしのライブでも、80代以上と見られるおばあさんがけっこういたという。本当に「死ぬまでに一目見られてよかった」という世界が広がっている。この関係は、重い。重いが、それゆえにもう、聖職と言ってもよいのではないかと思う。


あ、結婚の話をしていたのでした。
以前、結婚を目指す「結婚願望」というアイドルユニットがいたようだ。
Wikipediaを見ると、「今すぐに結婚したい、結婚願望の強いタレントが集まって花嫁修業=タレント活動を行うタレント集団である。タレント活動の目的は、「しあわせな結婚をする事(=脱退)」であると公表している。」とある。実際、2人が結婚により脱退をしているらしい。
ふむ、やはり結婚をすると続けられないのか。


アイドルは、「アイドルらしさ」をめぐって、「アイドルらしさ」と「らしくなさ」を巧みに体現することでアイドルイメージを揺らがせ、時代ごとのアイドルイメージを作り、また他のアイドルとの差別化を図っている。恋愛や結婚についても同様である。結婚している、という設定の「清 竜人25」をここで取り上げないわけにはいかない。

しかしMVを見て思うのは、「一夫多妻制」というアイドルとしてのフックに過度に依存することなく、つまり「このコンセプト、面白いでしょう?」というご機嫌伺いなく、人と曲の魅力で勝負をしているすがすがしさである。
ということは、やっぱり恋愛とか結婚とかとは関係なく、アイドルって成り立たないだろうか、と考える。逆に、なぜアイドルが恋愛というものと固く結びついているように思われるのか。それは、おそらく人と人との関係性において、恋愛という形式がもっとも普遍的で、どんな属性の人と人でも、恋愛という関係性においてつながれる可能性があるからかもしれない。おっさんと幼女が、恋愛関係になれる可能性がある。おっさんと幼女は、親子関係になれる可能性は(ほとんど)ないが、恋愛関係になる可能性はある(これは実際の実現可能性のことを言っているのではない)。アイドルは、アイドルとファンが好きという気持ちにおいて関係を結ぶ営みであるが、それはやはり恋愛関係と類比的に捉えるのが確かに自然である、という結論に(自分としては一周まわって)たどり着いた気がする。
あ、違う。というか、「好意において赤の他人同士が関係を取り結ぶ」という事態を「恋愛」という言葉以外で表現するすべをおそらくぼくらは知らないのだ。アイドルとファンの関係を恋愛と表現する弊害も当然大きいのであって、ぼくらはそこらへんの語彙を整備していく必要があるかもしれない。ちなみに、自分は結婚しても、やはりアイドルは好きである。自分が結婚してもなおアイドルに抱く好意を「恋愛」とされてしまうと大変居心地が悪いのである、そういえば。


とりとめもない話をしてきた。それにしても、20曲連続でオリコン1位を獲得して、結婚・出産して2年足らずで復帰した後も4曲連続でオリコン1位を取り続けた松田聖子のことを、ぼくはまだよく知らない。