地下アイドル観覧記(後編)

サムライローズ出演後、ぼくのイメージの中での地下アイドルらしいグループが続いて出演。
sola」というアイドルは「2次元アイドル」を謳っており、水色の傘を手に登場、独自の挨拶「そららんわ」でファンとやりとり。すると、今まで後ろの方で見ていた紳士が突如スペースの最前柵前までやってきて、左手にぬいぐるみ的な何かをつけて応援し始める。solaはイントロで客にMIXを煽る。この時点で最前スペースで騒ぐファンは8人。曲終盤ではケチャ(低い姿勢を取り腕を手前からステージ上のアイドルの方へ振り上げるオタ芸)が炸裂する。「走り込みケチャ」やら、あるファンをもう一人が持ち上げてさながらステージに向けて水平に飛んでいるような格好のケチャやら、見ていて面白い。もうひとつ、ロマンスに入る前の複雑な動きはハローの文化では見なかったヲタ芸だが、あれは「アマテラス」だろうか?現在進行形で進化を続けるヲタ芸にも改めて興味が湧く。(以前ハローにおいてという意味で「ヲタ芸は死んだ」と記したことがあるが、確実にヲタ芸が生き生きと息づいている場は存在している。その動向には注目していきたい。)
最後の曲前、「次が最後の曲です」のところでは、定型化されたお約束としての「エーッ!!!!」というファンの叫び。この「エーイング」(という語があるかしらんが)は、「最後の曲になりました」の前にフライング気味に入れる場合もあり、この時には「ちゃんとやってよー」というアイドルの困り声と、何回かのやり直しのぐだぐだ感を楽しむことができる。
続いて「大島はるな」という高校生アイドル。かなり歌はうまい。「MIX入れてください」と煽ったり、MC中でのファンとのやりとりも滑らか。最前のファンたちは常連らしく、おそらくは彼らにとっておなじみであろうやりとりをしている。MC中に名指しされるファンもいるなど、一気に内輪感が高まる。とはいえ、曲中に最前以外の客(自分含む)に対しても盛り上げるなど、かなりライブ慣れしていることがうかがえる。
さらに「デカシャツ喫茶」、「水月桃子」と続くが、驚くのは、出演したばかりの「sola」も大島はるなも、客のいるスタンディングスペースに入ってきて、一緒に次のアイドルを応援しているということだ。ロマンスやMIXなど、ファンと一緒に楽しんでいる。2階席のアイドルの待機スペースでも「キラポジョ」のメンバーがロマンスを打っている。その後「サムライローズ」のメンバーもやってきて(ただのおばさんなのでそれかどうかすぐには分からなかったが)、抑え目ながらもファンと一緒にライブを楽しんでいる。



境界がない、という感覚。アイドル側と、ファン側の、境界がない。例えば常連のファンに対して名指し、とかはまだ想定していた。そういう意味での距離感の近さは理解できる。ところが、まさか出演者が次の瞬間に観客になっていて、そこでファンと一緒になってライブを楽しんでしまっている。そんな距離のなさ、ステージと客席が近接するのではなくて、もはや融解してしまっている、そんな境地になってしまっているとは思わなかった。そういえば、ライブ開演時からずっと客のスペースにいた女の人は、後で「デカシャツ喫茶」のメンバーだったと気づくわけだが、その点でライブはじめからずっと、出演者と客の区別なんてものは全く自明ではなかったわけだ。
この場合、アイドルとファンは縦の関係ではありえない、ということになる。メジャーなアイドルであれば、ファンはアイドルにそう簡単には近づけないという距離感があり、そしてその距離感は、「高嶺の花」として上下関係に置き換えて見ることができる。手の届かない存在という距離感が、高くて届かないという上下関係へ。そしてそれは、なんらかアイドルに対して超越性を付与することになる。もちろんその上下関係を前提として、それを裏返してアイドルを下に見るような上下関係も存在する。しかし地下アイドル現場においては、アイドルが客席に下りてくるわけだから、もうアイドルとファンの関係は対等な、横の関係という他はない。アイドルもファンも、アイドル現象が好きなファンとして渾然一体となってしまう。この場合、もはや地下アイドルは「近アイドル」ですらない。ステージと客席の距離を限りなくゼロにしようとする動きではなく、もはや距離ということそのものを問題にしないアイドルなのだ。
メジャーのアイドルが高層ビルの頂上付近に存在するとするなら、マイナーなアイドルは徐々にその高度を下げ、次第に地上すぐのところまで下りてくるだろう。ただそこにおいてもまだ、距離は問題になっている。近くに感じられるアイドルは、逆に言えばそこにいまだ距離が厳然と存在していることが重要である。ところが地下アイドルは、比喩的に言えば、外から建物を見ただけでは距離感が全く分からない、そんな感じだ。距離がゼロ以下になって、つまり、ステージから客席にアイドルが入り込んでくることによって、もはや距離の近さ遠さというものが全く問題ではなくなってしまっているのではないか、そう思わせる。
では、アイドルの超越性が全く問題とされないその現場において、場を秩序付けるものは一体何なのか。メジャーなアイドルであれば、その魅力によってファンの視線を引き付け、歓声を呼び起こすことで場は一つになることが可能だ。しかし、歌も踊りもオーラというべきものにおいても見劣りのする地下アイドルにはそれは無理な話だ。そこで地下アイドルたちが取る手法は、徹底的に場を盛り上げるフォーマットに従った振る舞いをするということだ。イントロでMIXを入れるようにファンを煽り、「ヲーイング」そして様々なヲタ芸を入れやすい曲を歌い、曲終盤にはケチャを入れられる部分があるということが重要。そして「最後の曲になりました」で「エーイング」を入れさせる。こうした定型化によって、アイドルもファンも、場を簡単に盛り上げ、楽しむことができる。どう振舞えば楽しいかがはっきりしている。もちろん、そのノリ方自体を全く知らなければこの現場を楽しむことができないという意味では、この場は広く開かれたものではありえないが、例えばAKBの現場に慣れた者が地下アイドル現場に行ったとして、その場に馴染むことに大きな障害があるとは思えない。その意味で、ぼくが当初想定していた地下アイドル現象の蛸壺化は見られなかった。むしろ今では、一定の知識があれば、ほとんどの地下アイドルの現場を楽しむことができるのではないかという想像ができる。そもそも、地下アイドルは単体でイベントをする他に、十数組が集まってライブイベントを行うことも多い。そこで効率よく場を盛り上げるためには、ある程度定まった型がどうしても必要なのだろう。



17時過ぎに、ぼくは東京キネマ倶楽部を後にした。心残りは、以前テレビの地下アイドル特集に出ていた「松本香苗」のライブを見ることができなかったことだ。ぼくが退出した段階では、スタンディングスペースにいる(アイドルを除いた)アイドルファンは30弱。ここから21時過ぎまでライブは続いたようだ。そこでもしかしたら、面白い光景が繰り広げられたのかもしれない。しかしぼくは、六本木のmorph-tokyoに大事な用があったのだ。…『第7回 セクシー☆オールシスターズ』編に続く。