地下アイドル観覧記(前編)

10月11日はアウェイ二本立て。地下アイドルを見て、その後セクシーオールシスターズへ。新鮮さというよりは、異文化に触れる時の恐怖や違和感やら。そうしたことを体感するのを自分は重要視している。実際にはそれはある種のスリルとして楽しめるし、自分の感受性の幅を確実に広げている。


W100ライブアイドル学園祭東京キネマ倶楽部にて。
そもそも、東京キネマ倶楽部という建物、そして立地に独特の感慨を感じる。日比谷線入谷駅を降りて(降りるのは初めてだった)、鶯谷駅方面へ5分ほど歩く。鶯谷と言えば、どうしてもラブホテルを思い浮かべてしまう。東京キネマ倶楽部はそのラブホテル街と道路を挟んで隣接している。そばの交差点にあるホテル「プリンセスⅡ」が、(よく知らんが)70年代あたりを思わせる外観。また、キネマ倶楽部が入っているワールド会館という建物自体がレトロであり、建物内に「新世界」という時代がかった名のダンスホールもある。東京キネマ倶楽部自体が、はてなキーワードによれば「昭和30年代に流行ったグランドキャバレーの内装を保存した、昭和レトロ感あふれるゴージャスでムーディな空間」とのことで、要はこれらを含めた入谷〜鶯谷という土地にある特定の時代性(それが自分のイメージの産物にせよ)を感じずにはいられない。そしてそれと、「アイドル」というものとは決して折り合いのいいものではない。ただし、もしかしたらその日見ることになるであろう有象無象のアイドルたちの、自分の想像上でのチープさもしくはいかがわしさという点では、この現場は相応のものであったのかもしれない。
もう一つ書いておかなければならないのは、そもそもこのイベントの開演時間(そしておそらくは出演者、また出演する時間)も直前まで全く正確には捕捉できなかったということだ。自分が当てにしていた地下アイドルの情報サイトでは、開演が朝10時と表記されていて、あるサイトでは13時となっていて、あるイベンターのサイトでようやく正確な開演時間が14時らしいということが分かるという始末。直前までいろいろなところの折衝があったりもするのだろうと思うが、それにしてもネット上でここまで情報が入らないのか、と驚く。もしかすると、地下アイドルの世界ではそれほど公に情報公開をせず、仲間内でのみ情報がやり取りされていて(おそらく検索サイトではすぐに分からないところで熱い内輪空間がネット上にも存在するのだろう)、ネット上の表面的な静寂とは対照的に、実際には現場にファンが大挙してやってくるのか、などと思いつつ現場に向かったのだ。
さて、現場、ワールド会館の6Fに入ると、怪しげな業界人風の面々が受付に数名並んでいて、こわごわそこで当日券を求める。ホールのつくりとしては、舞台が5階部分にあるようで、舞台と客のスタンディングスペースに行くには階段で1フロア分降りることになる。先述の説明であったように「グランドキャバレーの内装を保存した」空間であり、アイドルの現場としては不必要な豪華さ(といっても古臭さは否めない)である。しかしそれにも増して驚いたのは、客が自分でやっと10人目だったということだ。なぜか開演前のはずなのに、すでに名もなきアイドルがひとり舞台の上で歌っている、その中で、アイドルの前では数人の客が応援し、ホール右奥では若い母親と思われる女性たちが数人飲み物を片手に話をし、ホール左手では若い女性2人と、アイドルファンと見られる男性数人がいる程度。少数とはいえアイドルファンが熱い空間を形成しているだろうという自分の予測は全く外れることになる。
アイドルの歌が終わり、さあ小休憩を挟んでいよいよ開演か、と思って身構えるも、いつまでたってもライブが始まる気配がない。その間、ステージ脇から舞台内に入る通路をスタッフが何度か往復するも、開演が遅れていることでの観客へのアナウンスも何もない。そもそも観客も少ないからその必要もなかったのかもしれないが。自分はホール左手、ちょうど舞台内に入る通路のそばに丸いテーブルが置いてあったので、そこに飲み物を置いて待機していたのだが、後ろにいる若い女性が話しかけられていて、どうやら彼女たちは事務所の先輩が出演するのを見に来たらしいことがわかる。それを聞いてあらためてホール内を見たとき、右手にいる母親的な人たちも、そして新たに入ってきた親子(子供は小学高学年あたりの女児)も、アイドルファンではなくてアイドル側の人たちなのではないかと思えてきた。つまり開演を前にして、ホール内にいる観客は、むしろアイドルになりたい(したい)側の人間が多いのではないかと気づきはじめてしまったのだ。(後で分かるが、あるダンスパフォーマンスグループ(中高生中心)が出演後に客のいるスペースに入ってきて、開演前からいた母親連中のところに集まった。やはり、出演メンバーの母親だったのだ、と確認。)あたりを歩き回る怪しい業界人含めた、そんなホールを支配する業界臭に単なるアウェイ感ではない違和感を感じながらイベントは始まることになる。ともかく、自分が来るはずだと思っていたアイドルファンはほとんどその場に存在しないのだ。
14時25分にようやく開演。その時点で舞台のあるフロアにいた観客はせいぜい20名。中年男性と、普段モデルをしている女性が司会として登場する。この中年男性が厄介で、まずはいちいち言葉のチョイスが古いこと(「かわいこちゃん」とか1組目のアイドル紹介で「先頭バッターは…」とか)と、笑わそうとするギャグが綾小路きみまろ的なノリなので、普段相手にしているのはもしかしたらそうしたことで共感と笑いが得られる世代なのかもしれないが、アイドル現場のMCとしては滑るどころか、それでなくても反応する観客そのものが少ない会場を完全に凍りつかせて、イベントの進行そのものを危うくしかねない雰囲気になった。モデルの女性はその空気感をしっかり感じ取って、なんとか男性のしゃべりを止めようとしているのがけなげだったが、その司会の男性と女性の対比が、今思えばその土地や建物の歴史性と、アイドルという現代的現象の齟齬を象徴していたようにも思えて興味深い。


前置きが長くなってしまった。いよいよライブ内容を振り返ろうと思う。「W100ライブアイドル学園祭」という名称の「W100」は、「W」はwork、womanを表しているとのこと。100は100人ということで、「W100シリーズ」として、働く女性をテーマにした本を出版していくらしいのだが、まずはアイドル100人を扱った本を近々出す予定らしい。とはいえその日のライブにはさすがに100人も出演しないようで、一組あたり1曲〜4曲程度歌い、少しMCをしてかわるがわる出演するという感じ。
始まってみると、歌もダンスもルックスもレベルはまちまち、当然ながらメジャーの現場よりもいろいろな点で不備は見られる。緊張で声が全然出ないとか、歌詞が飛ぶとかは普通だし、設備や運営上の不備も多く見られた。たとえば開演が25分押したということもそうだし、激しく踊るグループもあるのにマイクがワイヤレスじゃなくて、位置をめまぐるしくかえながらもコードをひきずって歌わなくてはならないとか、流す曲を間違えたりとか、流すタイミングが遅れて演者が待ってしまう時間があったりとか、とにかくそうしたひとつひとつがホールの空間をだれさせる。そしてライブはじめのほうはアイドルファンたちもさほどお目当てのアイドルがいないと見えて、抑え目にノっているという雰囲気。
「キラポジョ」というグループの出演から、徐々に場が盛り上がり始める。やはりこうした地下アイドル文化におけるMIXが果たす役割は大きいように思う。最も射程の広い共通言語がMIXである、という感覚がある。アイドル側が「せーの」と掛け声をして、それに呼応するようにファンがMIXを入れるという光景はこれ以降何度も見ることになる。「MIX入れてください」とか、「もいっちょいくぞー!」とかをアイドル側が煽る。キラポジョの際はMIXを行うファンが2人しかいなかったが、次第にステージ前方で騒ぐファンが増えていく。
「キラポジョ」の後が、「キラポジョ」の姉妹ユニットだという「サムライローズ」の出番である(参考:http://www.samurairose.com/)。姉妹ユニットといっても全然妹でもなければ姉でもない、「アラフォーアイドルユニット」である。総勢40名いるらしいが、そのうち21名の出演。すべてゆったりとした曲調に、軽いステップのみを入れて歌うスタイル。ピンクや紫の衣装を着ているメンバーもいて、その意味では「アイドル」と呼んでもいいのかもしれないが、どちらかと言えばスナックのママというような感じで、しかしその点では一番ホールの雰囲気にはマッチしていたとも言える。「サムライローズ」が登場した際には、中野ブロードウェイの「タコシェ」店内のような、奇妙なものに対して咳き込んでしまうような違和を感じたが、次第に、実はこれは自分の中の「アイドル」像とは乖離し過ぎているということに気づいて、むしろ当初覚悟していた「気持ち悪さ」のようなものを強く感じることはなくなった。彼女たちがもっと萌え萌えの曲を歌ったなら、現行のアイドルたちとの対比において「気持ち悪さ」を感じられただろう。
ただそれにしても、やはりこのグループを快く受容するのは難しいように思った。イメージとしては、言葉が悪くなるが、「忙しさや貧しさの中で結婚式をすることのできなかった夫婦が、中年になってようやく式を挙げることができました。いつになっても女性はウェディングドレスを着たいんですね」という感じ。つまりそれを身内として受容し、快く思うことはできても、それを赤の他人が見るにはやはりきついのだ。そういう意味で、「どう見えるか」ということは重要で、これは他のアイドル現象も含めて、「自分がやりたいこと」と、「他者が受容すること」を折衷していく必要がある。


後編へ続く。