キューティーミュージカル「悪魔のつぶやき」

一週前でしたが、いまさらの感想。
19日(火)、全労済ホール/スペースゼロにて。
3列左サイドで観劇。すぐ右側にはステージが前に張り出していて、それが6列の部分まで延びていた。したがって、6列中央の席が一番おいしいわけだ。そしてそこには「ぐんまいまい」氏が座っているわけだが。開演直前には右サイド最前に「貴族さん」も登場。なんとなく豪華な感じで開演を迎える。
ところでぼくは、ネタバレの感想やストーリーの予習など全くせずに見に行った。とは言え、℃-uteメンバーが悪魔役であるということは分かるわけで。となると、悪魔は完全なる悪役ではありえないから、いたずらをしようとするけど、ドジをしてしまうようなかわいい悪魔役なのだろうか、などと想像していた。
開演。役者が2人客席の通路を通りながら張り出したステージの部分に上っていく。一人がお金を拾っており、それを届けるかネコババするか悩んでいる。そこに天使が登場。「そのお金がなくて困っている人がいる」と諭す。いよいよそこで℃-uteの悪魔が登場。あの手この手でネコババを勧めるが、リリーという悪魔役の鈴木愛理が、天使の説得の言葉に納得してしまい、結局拾った人はお金を届けにいってしまう。
当然℃-ute演じる他の悪魔が不満げになるわけだが、意外なことに天使の方からも文句が言われる。「お互いに立場ってもんがあるんだから」「学生とはいえ、悪魔なんだから(ちゃんとやってもらわなきゃ困る)」というようなセリフ。この舞台における「天使―悪魔」は、決して単純な「善―悪」の二項に収まるようなものではない。(ちなみに舞美演じる悪魔は、元は天使だったのだが、天使は「みんな性格悪い」という理由で悪魔になったのだ。)この後に、「悪魔の仕事」とはどういうものか明らかにされる。「何が正しいかは人間が決めること」、そして「ただ悪魔の言葉をつぶやくこと、それが悪魔の仕事」であるとされる。ナイチンゲールやヘレンケラー(だったかな)など、偉人に対しては偉大な悪魔(リリーの母親)が悪魔のつぶやきをしている。偉業をなしとげるためには悪魔のつぶやきに打ち勝たなければならない。その意味で悪魔の仕事は「必要悪」であるという説明がなされる。
いつ見ても感心するが、℃-uteの舞台の脚本家は、アイドルが出ていればそれでいーじゃんというような妥協の産物としての舞台に全くしない。相応に考えさせて客を帰そうという意図が見られる。
℃-ute演じる悪魔は、悪魔学園を立派に卒業するための試練を与えられる。試練は人間界の少女と仲良くなったあとで、彼女の夢がかなうように応援するというもの。ただ実は、少女はダンサーになる夢(オーディションに行けばダンサーになれる)と、直前に事故に遭った母のいる病院に行くことの究極の二択を迫られることになる。リリー(愛理)は、少女を信じながら、自らの仕事を全うし、オーディションに行くよう悪魔のつぶやき(実際には歌唱)を続ける。一方天使は、母親に会いに行くようにつぶやく。結果、自分の気持ちと向きあった少女は、母のいる病院に走っていく。
この舞台から考えられることは、人間の中に様々な選択肢がありえて、その中には一般的には悪いと考えられるような欲望に基づく行為も、よい行いと考えられる行為もあるわけだが、それら全てと向き合った上で、判断をしなさい、ということかと思われる。常に「よいこと」ばかりに目を向けようとする潔癖症的な考え方への批判的視点。
ただし、この舞台では行いを「悪」と「善」の二つに区分した上に、常に選択肢が二つしかない。これは舞台としての分かりやすさを求めれば仕方のないことだが、多少の疑問も生じる。例えば、少女が迷う二択、オーディションに行くか、病院に行くかという問題では、オーディションに行く方の声が悪魔、病院に行く方の声が天使となっているが、それを自明視することができるのか、という問題。舞台では、少女の母は事故に遭ったものの、命に別状は無いという情報は少女にも伝えられていたのだ。だとすれば、オーディションに行った後で、ダンサーの夢の第一歩を踏み出すことができたことを病院の母に報告に行く、という展開も十分に「よい」と思うのだが。
もうひとつ気になる点は、やはり悪魔学園が℃-uteメンバー演じる悪魔に対して与える試練について。その試練は繰り返せば、「人間界で仲良くなった少女が、オーディションに行くか、事故に遭った母のいる病院に行くかの二択で迷う。そこでオーディションに行くよう悪魔のつぶやきをする。」というものだ。ということは、悪魔の世界からすれば、母親が事故に遭うことは始めから分かっていたか、または悪魔の世界でコントロールして母親を事故に遭わせたことになる。あるいは、本当は母親は事故に遭っていなくて、あたかも母親が事故に遭ったかのような情報だけが少女に与えられているとか。いずれにしても、観客の自分からすれば、どうもこの母親の事故という切実さがいまひとつ伝わってこない(舞台では救急車の音と、少女の友人からの情報という、間接的な描写しかない)。この母親の事故が悪魔の世界からコントロールできるかのように見えてしまうので、いまひとつ少女にも悪魔にも感情移入できない。それどころか、悪魔界から見た人間界が、あたかもリセット可能なゲーム空間かのようにも思えた。つまりは、人間界の方こそが悪魔の試練に向けて設定された虚構空間のように立ち現れてしまったのだ。したがって、いまひとつここの場面の切実さを感じない。別にどうでもいいんじゃないかと思えてしまうのだ。


とは言え、こうしたことをちゃんと考えたのは舞台後で、実際にはとても楽しく舞台を見ることができた。特に主役と言ってよい愛理の歌の力はすごい。それに比べると他のメンバーの声量不足が気になったり、ちょっと歌部分が長いなあと思ったり(ミュージカルだから当然と言えば当然だが)ということもあったが、全体としては満足感のある舞台だった。
なっきぃの背中とかへそとか見れたし。怖いなっきぃも猫になるなっきぃも見れたし。