『とくダネ!』、アイドル「みそぎの掟」について

先日10月18日に、フジテレビ『とくダネ!』にて、「緊急座談会!ファンが語るアイドル“みそぎの掟”」というコーナーがあり、ジャニヲタ、娘。ヲタ、AKBヲタのファンがアイドルのスキャンダルに対していろいろ意見を言い合っていた。
この番組からはいろいろ考えさせられること(主に悪い意味で)があったので、ツイッターで思うところを書いたので、それを編集した上で転載しておこうと思う。

まずはファンの選択の仕方の問題。ジャニヲタにもガチ恋系はいると思うんだけど、比較的穏当なファンを持ってきておいて、娘ヲタとかAKBヲタの方は恋愛禁止の意見を持ったヲタで固めてしまうという、まあいわば恣意性の問題。

それから、何のために(矢口が)謝罪会見を開いた方がいいのか、ということの議論も、いろいろ錯綜しているように思える。結局会見を開いた方がいい理由が、後の仕事のために少しでも立場・体裁をよくしておくため、というなら、そこではもう倫理的な側面はタテマエとしてしか問題にならない、ということなのか。

そうなってくると、AKBのスキャンダルへの対処は、その対処そのものをゲーム内に取り込むことで、建前として謝罪という体裁が取れればよい、というある意味有効な開き直り策(これは全く悪い意味ではない)であると言える。

これは、たとえばサッカーというゲーム内でファールを犯しても、そのゲーム内で相手側に有利な状況(FKとか)が与えられるだけで、ゲームそのものの敗北を全く意味しないということと似ているかもしれない。場合によってはゲームを有利に進めるために、そうしたルールをうまく活用できることもある。

何しろ、芸能人(アイドル)の恋愛がばれたら謝罪しなければならないという規範そのものが、すごい脆弱な感じがするもんなあ。もちろんその規範にもそれなりに理由のあることだと思うけど。バカバカしい規範だから、それをうまいことハッキングしてやろうぜ、という思考は理解できる。

だから、むしろ矢口さんの今の状況は、すごく好意的に考えれば、芸能人としての規範のゲームに参加しないという意味で、芸能人としての強さを持っていない、人間としての弱さを垣間見ることができて、逆に自分としては、それもありなんじゃないの、と思ったりする。勝手な想像だけど。

だって、もっとメンタルが強かったら、あるいはずる賢かったら、謝罪会見を開いて、涙の一つでも見せておけば、次の仕事もあるだろう、って、逆に思っちゃうんだよね。それをしないことがどういうことなのか、もう少しいろいろ想像してもいいのでは。

また、ここにおいて、日本人の「謝罪観」についても考えるべきではないか。本来、責任を問われる、倫理的な責めを負うということは、ゲームのルールのようなものと違うんでないのかなあ。謝れば許す、謝らない奴は許さない、っていう単純な捉え方に陥りがちな気がするけど、これは危険。

ということで、矢口さんに対して今もって負の感情はないです。というか、芸能人に対して、本気で好きという気持ちこそあれ、本気で怒る、などということが、そもそもどういうことかよく分からないのです。別にそれが愚かだとかでなくて、それが事態としてどういうことなのかよく分からない。

(知人より、芸能人の恋愛スキャンダルと矢口の不倫の問題は、芸能人のみが責められる恋愛と、一般的に倫理的な責めを受ける不倫という、位相が違う問題であるという指摘を受け、)
アイドルの規範ともっと一般化された規範の問題ですね。ちゃんと解きほぐさないと難しい。でも結局、「世間一般になんで申し開きしなければいけないのか問題」ってのは感じます。


…アイドルが、芸能界という特殊な規範が支配する世界において自らをどう提示していくか、ってのは大変で、また面倒くさい作業に違いない。けれども、多くの視聴者がその規範をまだまだ割と信じている。ならばその視聴者と芸能人との演劇的な関係はやはり維持されねばならない、のか。