アイドル論とフェミニズム

モーニング娘。学会で問題となったことの一つは、アイドルを応援するということにおける搾取である。つまり、我々はアイドルを応援している限り、アイドルを消費するという暴力から逃れられないのではないか、アイドル産業そのものがそうした構造を不可避的にとっているのではないかという問題である。これは我々にとってはどうしようもない問題である。アイドルを応援する限りそうなのだ、ということになれば、開き直って、じゃあ精一杯応援しようじゃないか、などとお茶を濁したくなる。
僕はあまり関係がないのではないか、という気もするのだが、男のヲタ→女のアイドル、という構図がある限り、この問題はフェミニズムとの対峙を避けられない。僕は「萌え」に限って言えば、「萌え」は性欲とは独立しているという立場だから、男女に関わるジェンダー論に巻き込まれるのはおかしいのではないかと思うし、学会でいまむー氏が冗談で言ったように、我々がチン子を切れば証明できる話でもある(もちろんそれは問題の解決法としては間違っている)。
まあ「萌え」のことはともかく、女性性が本質ではないにしても、男がアイドル論を語るときにフェミニズムを避けるというのは無理がある(僕は必死こいて「女性性」を避けようとしているのだけれども、一般的に男性ファンが女性アイドルを見る視線に、宇多丸氏言うところの「純潔かヤリマンか」があることは否めない)。
性の問題。例えばU15のTバックであったり、辻とダルビッシュの扱いの違いだったり(郁氏の文http://d.hatena.ne.jp/musumelounge/20070811/1186803252を参照のこと)。アイドルの倫理を掲げる僕が、そうした問題を避けるわけにはいかんだろうという気はする。学会で七里氏からも問題提起があったように、アイドル論はフェミニズムと対峙しなくてはならない。たぶんフェミニズムと戦う必要も、超えていく必要もないとは思うのだが、無視できない。
と同時に、フェミニズム(男→女)ではなくて、大人→子供という搾取の構造も見逃せない。むしろ僕はそっちの方がでかいんじゃないかという気がしている。ヲタとして苦しいのは、応援することがほぼ唯一アイドルとコミュニケーションをとる術なのだが、そうした接点であるアイドルの仕事自体が、アイドルの自由意志によって行えるものではないということである。悪く言えば事務所のあやつり人形であるということ。もちろん我々は消費行動でそのあやつりかたを是正していくことはできようが、それはヲタにとっての是正であって、いずれにしてもアイドルの意志は尊重されない。そんな中で「アイドルのためを思う」とはどのようなことなのか。


アイドルを守りたい。だけど、アイドルを守るということが、アイドルでい続けさせることなのか、アイドルを適当なところでやめさせることなのか、よく分からない。
とりあえず、フェミニズムのこと全然分からないんで、フェミニズムの本でも読んでみます。


今週中に書くことのメモ
①神の声を聞くことは可能か?
②nkskのくせに!
Perfumeから学べること