本格⇔アイドル

どうしても今日見に行くべきだと思ったのでヤフオクの世話になって急遽参戦。
とても眠いので感想はまた明日にでも。
公演前に思ったことだけ書こうかな。


僕はハロプロのミュージカルが好きだ。
「LOVEセンチュリー」も「モーニングタウン」も「江戸っ娘。忠臣蔵」も「HELP! 熱っちぃ地球を冷ますんだっ」も見たが、それら全てに満足してきた。後藤のも見たし、松浦のも見た(安倍だけ見てないな)。それは、今までのミュージカルが、少なからずアイドルに合わせて作られていたからかもしれない。
公式ページhttp://www.ribbonnokishi.com/news/0622.htmlの中で、「『リボンの騎士 ザ・ミュージカル』は、ハロー!プロジェクトが初めて挑む本格ミュージカル。」とあるように、確かに今までのを「本格」と言うことはできなかったよなと思う。で、だからじゃあ今回の方がもっと満足いくものかというと、そうとは限らないんだろう、むしろその「本格」とやらがヲタとしての自分を不満足にさせるのではないかという思いがあったのだ。

「本格」とは権威である。僕はハローの活動全てが、芸術という権威を相対化する運動であると見なして消費してきた。特にミュージカルは、舞台上の役者が織り成す作品世界と、娘。というアイドルが織り成す虚構世界と、アイドルである人間が垣間見せる現実世界が複雑に絡み合って、メタメタになっている混沌を楽しめるから好きなのだ。今までのミューは少なくともそうして楽しんできた。「キャラ&メル」を4回も見に行ったのは、舞台上の設定とアイドルとしての存在と「素」が区別不能な形で現れていたからだった。
ハローのミュージカルが芝居としての「本格」をまとったら、逆に誰が演じてもいい「代替可能性」が出てきてしまうのではないかという懸念。今日コマ劇場に着くまで気づかなかった心のもやもやが、開演が近づくにつれはっきりと自分の胸の中で姿を現してきた。つまり、アイドルとはあくまで自分が作品なのだ(稲増龍夫が「アイドルとは総合芸術」だと言ったように)。それが演技だとか、歌だとか、アイドルそのものから距離をとった何かで評価されてしまったら、それはそれでアイドルとしての価値を低めることになるのではないか。果たして、「本格」と「ハロプロ」は一体どうやって折り合いをつける気だろうかという気持ちで、22番の席に座っていた(辻という神は今日も自分のそばに)。
いや、もちろんそもそも「本格」までのレベルに仕上がってるかどうかの不安もあるわけだが。梨華ちゃんとかね。