記号性と身体性のバランス

Perfumeのことを全く知らない分際で書くのだが、Perfumeをアイドルとして見るとき、PVも含めた曲のイメージでは、極端に機械的で人間味がなくて、身体性がなくてアイドルとしての権威(代替不可能性)を感じないのだが、ライブでのMCをちょっと聞いたところでは、そこでは曲と大きなギャップがあって、人間性・身体性がはっきりと顕わになる。むしろそこにこそアイドル・Perfumeの魅力があるのだろうと推測する。ギャップ・ズレ。それってハロプロでもキーワードだったはずだ。
中川翔子が、マスメディアでの露出のほかに、ブログでほとんど自らのプライベートを明かしているかのようにする試みと同様、アイドルとして、メインとなるイメージを生み出す場の他に、それを覆す裏の場を自ら設けること。そうすることによって記号性と身体性のバランスをとるということ。
ハローでは今それがうまく機能しない。裏の場を週刊誌にコントロールされてしまう。ラジオとか、ブログあたりで、そういうところのコントロールを、アイドル自らがしていかなければいけないのかなあ。


ところで、Buono!の1stシングルのタイトルが「ホントのじぶん」だったり、劇団ゲキハロ第3回公演のタイトルが「〜リバース!〜私の体どこですか?〜」であったりする。アイドルの存在(特に身体性)について深くえぐる作品を大いに期待したいです。