お菓子系

今日ファミリーマートに、ぴあで予約した「時東ぁみ座長公演」を発券しに行ったら、雑誌のところに「Berrys」なるティーンズアイドルのグラビア雑誌が並んでいて、えっ、と思った。Berryzとかぶりません?
それがなぜか知らないが普通の雑誌コーナーの(つまり成人コーナーではない)ところに置いてあった。
中をめくってみてもかわりばえのしない水着ばかりだ。最近特にそう思うようになったが、水着アイドルはどう頑張っても他者と差異化するのにはすぐに限界が来るよなあと思う。ヤングマガジンだとかヤングジャンプにも毎週水とは関係なく水着を着ているお姉さんが載っているが(もうこの際水着という呼称はやめてグラビア着とでも呼んだらどうだろうか)、もはやそれを「誰」としてみる視点は僕にはなく、というかもう見る気すらない。微細な差異を見つけて楽しむほどの技術は僕にはない。言語的に情報を消費するのが好きな僕は、見た目の細かな違いがどうたらってのを感受する能力がない。そういや、アイドルが髪を切ったとか、太った痩せたの変化に対して、僕はひどく鈍感なのだ。
そんな風に行き詰まりやすいグラビアアイドルの中の差異化戦略として、萌え要素を利用した時東ぁみだとか、コスプレ系のグラビアを最近よく見る。それとはまた別のベクトルの差異化で、「低年齢」の方向というのがあって、「Berrys」という雑誌もそういう意図なんだろうと思う。実際オタク的な人間が増える中で、それとロリコン化ってのはかなりかぶってるんだろうから、世のニーズとも合っている。
で、偶然なのか意図的なのか知らないが、「ベリーズ」という語が使われた。果実か。
ところで、お菓子系アイドルという語が一方で存在する。
ティーンズアイドルが果実とかお菓子だとかいうイメージで消費されるのは確かに理解しやすい。
果実だったら、「甘い」「つるつる、ぷりぷりしている」「実がつまっている」というような「若さ」の表現として、
お菓子は、その中でもほぼ「甘い」というイメージのみを純化させている表現だと考えられる。
もちろんここでは、ティーンズアイドルが「食べごろ」の「食べ物」であるという上から下の視線が厳然としてある。自分の存在を否定する恐れのある超越的他者としては現れることのない未成熟な女性をオタクは愛でる、と大澤真幸は書いたが、まさに「食べ物」という捉え方はそんな性格を表す安全な立ち位置からの言葉である。
(でも、僕が辻を「お菓子」かも知れないと以前言ったのは、まあ少し「お菓子系」という言葉も意識の隅にはあったけれど、「食べ物」っていう意識はないなあ。いやむしろ、比喩的な意味で言ったんじゃなくて、文字通り辻がお菓子なんじゃないかという意味なので、エロいニュアンスを含めていません。)
この果実だとかケーキっていう表現って、本当に残酷なほど的確な気がする。それが旬であるときは高値を呼ぶんだけど、それはあっという間にすぎてしまって、腐ってしまうともう何の価値もない。その一瞬に対する崇敬なのか、それとも使い捨てるエゴイズムか。
いずれにしてもこの「低年齢」戦略ってどうかんがえても安定しない。アイドルは次々入れ替わるし、低年齢であることに飽きがきてしまったら終わりだ。こういう、行くとこまでいったらおしまいという戦略はまったく先がない。だからハローの方でもロリコン路線はやめろよ、エロ路線もやめろよ、とたびたび自分も書いた。自分の思い通りにしたければ、虚構のアイドルに没入した方がいい。そうでない、現実のアイドルの領域にとどまっていたいなら、そのリアル(自分ではどうしようもない現実)とうまく付き合っていくしかない。
やはり、フルーツとケーキだけ食っていては、現実的に生きていくのは苦しいってことだ。ケーキだけ食って生きていけるのはのんちゃんくらいです。(で、のんちゃんってのは現実的存在でもなければ、思い通りになる虚構的存在でもないってのが今の自分の立場。)