大阪のアイドル「JK21」を見てきた

2月6日(日)、大阪へ行く用事のついでに、大阪のアイドルグループ「JK21」を見てきた。本当はNMB48に行きたかったのだが、さすがに無理だった。
大阪の地理が全く分からないので、最寄りと思われる中崎町駅より徒歩で会場となるスタジオアクトに向かう。しばらくさまよって、商店街のスーパー付近に怪しい人影を発見。JK21ヲタであろうと踏んで、自分もまた怪しい人影の一つとなる。
開場時間となり、みな建物脇の階段を上がっていく。それにしても、彼らの姿がなければなんの変哲もない場所である。ここがアイドル現場であるとは分かるまい。ほとんど隠れ家と言ってよいようなところにJK21の本拠地があった。
さて、びくつきながら2階に上がる。何事もそうだが、異文化の圏域に足を踏み入れるのには相応の勇気がいる。というのは、その場その場にあるであろう暗黙のルールを知らない者は、一挙手一投足に注意をしなければその場の秩序を乱してしまう恐れがあるからだ。
2500円払って会場に入る。こじんまりした劇場。芝居に使う空間をアイドルのライブにも利用しているようだ。イスが横に11個、縦に三列。つまり客がせいぜい30数人というアイドル現場。スタッフは2名しかいない。夜公演の客は25名程度で、空席が少し残っていた。



ところで「JK21」ってなんだ。女子高生なのに21歳なのか。グループ名の読み方も知らなかった(じぇいけいとぅわんと読みます)。何しろこの現場に行こうと思い立ったのが当日の深夜3時だったのだ。ただしその名は以前より知っていた。主にガリバーさん(TwitterID:@gulliverdj)の情熱的なツイートによって。
JK21は「JAPAN KANSAI 21世紀」からきているようで、主に関西で活動しているアイドルグループである。2008年より活動していて、メンバーの増員や脱退を繰り返しながら今に至るらしい。昨年12月に「I・愛 KANSAI」でメジャーデビューした模様。



偶然同じ現場に来ていたガリバーさんと知り合いのすいたさんとお会いし、安心するも、今から始まるステージがどんなものだか、そして楽しめるかどうか期待と不安で開演を迎える。
まず気になるのは、ファンは着座のままライブを楽しむということ。そしてコールもないしヲタ芸もしないし、PPPHやらロミオ・ケチャのような、比較的ひかえめなのり方すらないということだ。おとなしい!せいぜい手拍子か、ファンによっては軽く振りマネをするというくらい。ファン層は20から40代の男性。昼公演はもう少し若い人もいたようだが、この年齢層がこの場の落ち着きを生んでいるのか。曲調はけっしてゆったりしたものばかりではないのだから、入れようと思えばいくらでもヲタ特有のノリというものが入りそうなものだが、終始大人しい。そしてMC中も名前を叫んだりはしない。こうした「とんがっていない」現場の雰囲気によって、自分も全くアウェー感を感じることなく、ライブの雰囲気を楽しむことができた。
JK21のメンバーは6名、そして夜公演は研究生が7名(訂正:正しくは「プチっ娘」4名と研究生3名でした)参加し、計13名のステージとなった。パフォーマンスは、メジャーなアイドルと比べれば見劣りがする。歌唱力はまちまちだし、ダンスのフリもシンプルだ。そしてちょっとした間、例えば曲が終わる間際にポーズを決めている時の表情に隙が見えてしまうなど、随所に粗は見える。よく学芸会ノリというような言葉があるが、JK21も決してプロフェッショナルなステージとは言えまい。しかしJK21はよかった。では何がよかったか。
JK21のよさを2つ挙げるとするならば、距離の近さである。距離の近さに2つの意味がある。それがこの現場の秩序を確かなものにしているように思う。
一つ目。JK21のステージは距離が近い。イスが3列までしかないのだから、当然である。ファンの側がアピールしなくても、ファンの全員がアイドルから見られている、という強い意識が働く。したがって、大きな箱でのライブのようにレスをいかにもらうかということを指向せずとも、なにか平等にアイドルの愛を享受できるというような安心感が漂っているように思う。ファンもほとんど常連であろうから、その中で不毛な競争をするよりは、みんなで応援し、彼らに対してアイドルも十分に愛を分配できているという印象。
ライブ終わりには、握手会とサイン会があった。握手は十分に長くて、むしろメンバーのことを知らないぼくは何をしゃべっていいものやら困ってしまったが、メンバーはひとりひとりがっちり握っておしゃべりしてくれる。サイン会は物販で買ったものにサインをしてもらいながらおしゃべりができるのだが、生写真の表や裏に、今日の日付と個別のメッセージやらイラストをメンバーそれぞれが工夫して描き込んでいた。常連のファンの人たちは、フォトアルバムを持ち歩き、その中に今日サインをもらったばかりの写真を大事そうに保管していっている(そのアルバムがハロプロの公式グッズだったりするので、ハロプロからJK21へファンが流れていることを如実に知れる)。こうした形で、アイドルとファンの1対1関係は、ファンが十分に満足行く程度に構築される。ファンがもっと多くなってしまうと、そうは行かなくなるだろう。(もちろん少人数の現場でも最強ヲタをめぐる争いは暗に熾烈なものではある可能性もある。2ちゃんなどでそれを垣間見ることもできるのかもしれない。しかし現場の雰囲気は平和そのものであった。)
二つ目。たしかにJK21は距離の近いアイドルである。しかし一方で、その距離の近さに、それ以上近づかせない壁のようなものも感じた。ある一定の近い距離でとどめ、それ以上行けない暗黙のラインが設定されているような印象だ。それを漠然と感じたのはステージ上で計13人のメンバーが歌い踊っている時、またゲームコーナーでの様子に、女子校で生徒同士がはしゃいでいるようだと感じたことからだ。けっして美人ぞろいとは言えない容姿が、むしろ生々しく現実的女子校感を醸し出し、そこに入っていってはいけない禁忌の感覚を呼び起こす。昨年書いたように(http://d.hatena.ne.jp/onoya/20101019)地下アイドル現場では演者と観客の境界が融解して、アイドルが演じ終えた後客席に降りてきたり、あるいは観客がステージに乱入したりといったボーダーレス化が進む場合があるのだが、JK21では演者と観客の境界ははっきりしている。そういえば、観客がヲタ芸もしない、振りマネも激しくしないということもこれと関わるかもしれない。つまり、ファンは自分がアイドルになるという指向性をここでは放棄している。ここで「アイドルになる」と言っているのは、現場において自己への意識が中心的になることを意味している。しばしばアイドルの権威が低い場合、ファンは自己陶酔行為によって現場を楽しみ、その場合ステージ上のアイドルはファンの意識の周縁に追いやられてしまう。一方アイドルが現場で強い権威を持つ場合、ファンの振る舞いは控えめになり、ステージ上のアイドルへの注目が集まる。もちろんこうした区分は明確なものではないし、流動的でもあるのだが、JK21の場合、後者の傾向が強いように思われた。10回現場に来ないと2ショットチェキが撮れないという、意外に「高嶺の花」感を演出しているようなところもあり、その全体としての距離感の作り方(それはファンが自発的に作り出したものかもしれないが)が絶妙である。
以上、近い距離を楽しみながらも、演者と観客の一線は明確になっていることで、現場の秩序はうまく保たれているように思う。



あとは取り留めのない感想を。
研究生のまこっちゃんこと今崎真琴さん(眼鏡っ娘)はけっして美人ではないけれども、「笑顔力」が強かった。笑顔力が強いとアイドルには向いていると自分は思う。他にそうしたアイドルを挙げると、スマイレージさきちぃがこれにあたる。とにかく、楽しそうであることがいかに大事か。楽しそうでなければこちらも楽しめない。パフォーマンスの多少の未熟さは、この「楽しそうさ」「笑顔力」で吹き飛ぶ。とくに現場の臨場感の中では。
碧みさきと小笠原裕子による「ポニョ」は衝撃だった。藤岡藤巻の男声パートを、声の低いアイドルを自称する碧が歌い、女声を小笠原が歌う。絶妙だ。声が低い、すごい低い。はじめ本当に歌っているとは思えないくらいだった。それと対照的な小笠原の声がまたかわいらしく聞こえる。たとえばこういうのを聞いた時に、他のグループではできない固有性を感じて、ファンになれそうだと思ってしまう。
そこから考えるのは、グループアイドルがグループである意味である。一人ではアイドルとして成立しないけれどもグループであれば生きる人。あるいは「アイドルらしくない」けどグループの中の一員として「アイドル」扱いしてしまうことで意外にも成り立ってしまう人がいる。そうして見ると、グループアイドルにおけるバランスの妙ということに思いをはせてしまう。個の力よりもバランス。もちろんメンバー間の競争というのも当然あるだろうし、メンバーの人気はサイン会での列の作られ方で一目瞭然ではあるから、メンバーにとっても強く自覚されているだろう。それでも自分が感じた魅力は、やはり女の子がみんな楽しそうに歌って踊るという、その全体が醸す多幸感に他ならない。



関東でのイベントも行ってみようと思わせる、いいグループでした。
小笠原推しで行こうと思います。