アイドルをつくるアイドル、Platonics Idol Platform。

新生アイドルグループ「PIP: Platonics Idol Platform」初お披露目イベントに行ってきました。その感想を。

批評家・社会学者の濱野智史さんがプロデュースするアイドルということで、客層は、おそらくだが濱野さんのことをそれなりに知っている人だったのではないかと思います。アイドルファンがふらっと来る、というより、物申したい系のクセのある面々(自分含む)が来ていたような気がします。今後どのような客層を相手にしていこうとするのか、注目です。
アイドルのコンセプトは、「アイドルをつくるアイドル」。「「アイドル」という素晴らしい文化を、これからも経済的にサステナブルな形で存続させること」を目指し、アイドルの中から、ゆくゆくはプロデューサーとして独立する人材を育てていったり、最終的には政治家するというようなアイデアもあるようです。先日の下北沢B&Bのトークイベントでも明かされましたが、構想が大規模で、単なるアイドル産業を超えた、政治・経済・社会といったスケール感があり、冷静に考えると、どこまで本気なんだこれは、というようなプロジェクトではあります。しかしこのプロジェクトは、これまでのアイドルが抱えていた問題をどうにかして乗り越えようとする意欲的な試みであって、(成功するにせよ失敗するにせよ)面白いと思います。


さて、イベントは濱野さんの説明が終わった後、便宜的に3つに分けられたグループが順番に一曲ずつ披露。まだオリジナル曲がないので、AKBとNMBとえび中のカバー。その後選抜されたメンバーと全メンバーでカバー曲を歌って、ライブは終わり。生歌でしたが、歌えているメンバーと緊張して声が出きらないメンバーと。自己紹介一つとっても、人前で何かすることは全てパフォーマンスであって、慣れてないとギクシャクするのだというのを目の当たりにしました。あ、この感じ久しぶり、と思いました。アイドルのデビューイベントに行くのは、2010年のAKBN0(現N0)や、2011年の放課後プリンセス以来。
こんな少人数の近距離のイベントでは、それぞれのメンバーの様子はもしかしたら自分しか見てないかもしれない。あるいはメンバーが自分だけを見てくれる瞬間があるかもしれない(アイドルと目が合うかもしれない、というのは特に小規模のアイドル現場の強い訴求要素であるように思います)。自分にしか気づいていない表情が、仕草が、意味があるかもしれない。その可能性の魔力があります。で、言うまでもなくそれってAKBを初めとするアイドル現場の魅力の大きな要素なのでした。AKBの現場に行かない自分は、今日実感として、AKBの劇場に足しげく通う(通っていた)ファンの気持ちを理解することができました。
接触イベは、ハイタッチ会と、握手会と、似顔絵描き会。握手会は3グループに分かれての実施。まだ客も、どんなメンバーがいるのかよく分からないので、探り探りといった感じ。似顔絵会も楽しそうでしたが、自分は遠巻きに「どれどれ…」というようにイヤな顔をして様子を伺っておりました。3グループに分けての握手会は、やはり自分のグループに握手に来てくれると純粋にうれしいようで、自然と、自分たちのところに来い、という競争のようになってきます。デビューしたてのアイドルのそういった真っ直ぐな熱のようなものは、見ていて胸を打たれるものがあります。

来週もまたイベントがあるようですが、当面の興味は、アイドル人気を結局のところ左右させる楽曲をどうするのかという問題。あるいは、楽曲に依存せずに人気を持続させるという革命を起こせるかということです。



▲総勢22名。ひとクセありそうなメンバーもいて、面白いです。



あとはいろいろと思うところを。
「最先端のICTを活用することで<距離を縮める>ソリューションを展開していく予定」という話の絡みで、(正確には忘れましたが)「メンバーの心拍数に合わせた振動をスマホに振動として送る」という可能性について触れていました。これはアイドルをめぐる重大な問題を孕んでいるような気がします。
つまり。アイドルのあらゆる表現は、アイドル自身の意志によって制御しうるパフォーマンス(演技)だと自分は考えています。もちろん時にアイドル自身の意志を超えた、あるいは逸脱した表現をしてしまうことはあるにせよ、歌やダンスやMCは、アイドル自身が制御できるものとして想定されうることです。ところが、心拍に関してはそうはいかないでしょう。こうした、自らが制御できないものすらアイドルの表現となっていく時に、将来的には、なんらかのアイドルの心の中(たとえば今日はモチベーションが低い)とかいうことがなんらかの形で可視化されてしまう可能性(おそれ)はあります。
しかし一方で、そもそもそんな「本心」のようなものがそもそもあるのか、あったとしてそれを科学技術によって客観的に判断できるようになるものなのか、という問題はあります。これは心の哲学、みたいな分野の話でしょうか。
いずれにしても、「心拍」という、演技のしようのないものが、アイドルにおいてどう利用され、どのような解釈の手がかりとなるのか、興味深いものがあります。思考実験として、たとえばファンとの1対1の接触の場面でアイドルの心拍数が分かったとして、「心拍が速い」から自分にドキドキしている、という解釈もあれば、「心拍が遅い」から自分と話していると心が安らぐのだ、というように、都合のいい解釈の可能性は常に残されているような気もします。


他に、このプロジェクトに期待すること。
アイドルは、どうしても一生アイドルでいることが難しい存在であるために、「アイドルのセカンドキャリア問題」というのがあります。アイドルをやめた後、どうやって生きていくのか。今までは何らかの形で芸能活動を続けていくという可能性しかなかったように思いますが、プロデューサーとか、政治家といった可能性を追求するのは面白いことです。
また、このプロジェクトは日本各地や海外に広がることも想定していますが、地方アイドルの在り方にも一石を投じてほしいという思いがあります。アイドルが地域のコミュニティのハブとして機能する可能性はあるだろうかとか、高齢者に支持されるアイドルの可能性とか。とにかく、アイドルを通して身につけられるコミュニケーション能力というのを、都市部の若者を中心としたアイドルの世界のみで発揮されるものとして閉じてしまうのはもったいない気もします。
実際、AKB選抜総選挙結果を受けてメンバー個人個人が行う挨拶に、大勢の人間の愛憎をその身に引き受けるアイドルという存在の気高さとか覚悟とかを感じて畏敬の念を抱くという体験をファンでもない自分がしてしまう。これはやはりすごいことです。日本の政治家の多くよりも、アイドルの方が「言葉の力」という点では優ってるように思えてしまう。濱野さんもそうやってアイドルの力にあてられてしまったファンの一人でしょう。政治・社会・情報技術といったところへの目配せをしながら、どのようにアイドルプロジェクトを進めてくれるか、大いに期待したいと思います。