④ポップでベタ〜鳥居みゆき〜

鳥居みゆき氏の分析については七里氏のエントリが大変興味深い(http://d.hatena.ne.jp/nanari/20080119参照)。


さて、前回のアイドル論「③しほの涼」で指摘したのは、アイドルが芸人化し、芸人がアイドル化する流れの中で、「芸人はいまや自覚的に「ベタ」を演出してきている」ということだった。その象徴的事例としての鳥居みゆき
お笑いが、例えば2人のしゃべりが生み出す意味内容から引き起こされたり、演技によって作られる世界観によって生まれる――つまりは物語として存在する時代が、少なくともテレビにおいてはとっくに終焉を迎えているということが「サイゾー」3月号では示唆されている。演出家・マッコイ斉藤氏のインタビューが興味深い。「ドラマならば〝演出〟と呼ばれるものが、バラエティの場合は〝ヤラセ〟になっちゃう。(中略)なぜか今は〝ガチじゃなきゃダメ〟って価値観の視聴者が多いんです。」お笑いが物語を剥奪される方向へ向かわされ、ポップなもの、ベタなものがゴールデンタイムのお笑い番組で垂れ流される現状。バラエティ上の「熱いおでん」がテロップ上で「冷たいおでん」と正されてしまう時代。
物語ではなく、その人間そのもの(キャラ)が作品として消費されてしまうこと。こうした事態を僕はアイドルの世界の方面からずっと憂えてきた。アイドル世界が一般の世界には閉じられている現代では、次なる生け贄は芸人ということか。芸人は芸をするから芸人なのである。それに対してできるだけアドリブ性(=これをベタと呼ぶのか?)を求め、「素」なるものを求め、丸裸にしていく。あるいは、(ほとんど最近見ていないけど)「エンタの神様」のように芸人をテレビの演出のもとに押し込め、完全な拘束状態で晒し者に仕立て上げるか(この場合は「演出ですよ」、という優しい注釈つきで視聴者にお届けされるため、視聴者は「安心」である)(いまむー氏http://d.hatena.ne.jp/Imamu/20080302の鳥居論も参照のこと)。
人間を追い込んで素の状態(こんなものを僕は「真実」「ほんとうの」とか呼びたくない)を曝け出させるか、完全なあやつり人形にさせられるか。まさにこれって、やっぱりアイドルと問題を共有している。僕はTBSの深夜番組「むちゃぶり!」を楽しく見てしまうが、これもまた、芸人が芸人としての生死の淵をさまよう様に嬉々とするという点で明らかな暴力には違いない。だがもちろん、だからと言って芸人やアイドルがそうした側面もある程度含んでプロとして成り立っていることを否定する気はない。
サイゾー」3月号で表紙を飾り、「ポップでベタを目指します」という鳥居も、そうした時代性が生み出したアイドルではあろう。素へと強迫される中で、意図的にベタを目指すということ、それが演技なのか、素なのか、決定不可能性へ我々を誘って、くらつかせること。ベタとは空気を読まないということである。鳥居みゆきは、極めて繊細に空気を読んだ上で、空気を読んでいない者を自己演出するギリギリの綱渡りをしているように思える(それを視聴者に普通意識させないくらい)。これはハロー界隈では嗣永桃子が体現していることであろう。
鳥居が他の一発ギャグやキャラで勝負する芸人と決定的に違うのは、その完成度ということになるだろう。あまりにも完成されていて、裏が見えないということ。メディアがよってたかって丸裸にしようとしても、どこに裸があるのか分からないこと。これは僕が昔「辻希美に性器はない」と書いたことに似ている気がする。あるいは道重さゆみ嗣永桃子の差異。道重には裏がある。嗣永桃子には裏がないのである。
身体が極端に拘束される中で、自由に振る舞っているかのように仕事をする人間をプロフェッショナルと呼ぶ。例えばロナウジーニョが華麗にボールをさばく時、僕たちはサッカーが手を使わずに行わなければいけないスポーツだという「不自由」から目を逸らされている。そしてその拘束を全く思わずになんて自由な振る舞いだろうと思う。鳥居も嗣永もプロである。不自由さを感じさせない。それが僕らの希望となる。
彼女たちが人間であるという側面に注目するとき、彼らのギリギリの綱渡り(落ちたらアイドルとしての死を迎えるかもしれない)の様を畏敬の念を持って見るしかない。「人間」であることの尊厳。
一方彼女たちを単にキャラとして見る場合、「空気読め」の強迫状態に置かれた我々を解放してくれる救いのヒロインとしてそれらは立ち現れる。バカ・狂い・脱社会化。社会的な関係性の下で構成される狭隘な「人間」概念からの解放。アイドルの「空気を読まない」衣装に僕らは自由を、希望を感じる。
「演劇の成功と、演劇の綻びから覗く何かとの間の、往還の緊張だけが彼女の真実だ」と七里氏が書くとき、それはアイドル一般の問題でもあるし、もちろん現代社会を生きる人間一般の問題ですらある。だから僕はアイドルが好きで、そこに人間の希望を見出す。