ヴァニラ画廊・沙村広明原画展「娘達への謝罪」

久しぶりにヴァニラ画廊に行く。
体中を刺され、性器にいろんなものを入れられ、苦痛に顔を歪める少女達。
それにしても、いろんなものだ。
大きな釣り針状のもので貫かれたり、木の枝で性器から口までを貫通されたり、鎖を上の口から下の口まで通されたり、水でいっぱいにされたお腹を少女にピストルで射貫かれそうになったり、道端で石碑を体内にねじ込まれ、足を地中に埋め込まれてほとんどオブジェと化したり、そして最も戦慄を覚えたのは、男性が女性器に中に自分の頭部をむりやりに入れている絵だ(タイトルは「回帰」)。そういう絵を見た上で、はじめのほうで少女が食事している絵に返って見たら、後ろで逆さ吊りにされた女性の下半身にはやっぱり灯りがねじ込まれているように見えてくる。
他にも、ギザギザのついた男性器状の突起やら、たけのこやらが女性器を狙っている。まったくもって災難である。
一枚だけ、男性と性交している絵があったと記憶しているが、それがなんとも健全に見えるくらい、他の絵が常軌を逸している。でも常軌を逸した絵は好きだ。
やはり女性は作品になってしまう、という困難を抱えている存在なのではないかと思う。それは女性器という、どうしても受動的にならざるを得ない存在に象徴されている。見られ、入れられる存在としての女性。もちろん、だからといって好き勝手に陵辱していいなどということには決してならない。「娘達への謝罪」とは、なんと偽善的な責任逃れのタイトルであるか、と一見思う。思うのだが、僕は僕でこれらの原画を不快だと思って見たわけでもない。面白いと思って見ている。
苦痛に歪む少女が犠牲となることで、自分は救われる、という構図は確かにありそうである。あるいは、少女を痛めつけることで少女の生が顕わになって、少女愛が深まる、という構図もありそうである。これはだいぶサディスティックだし、自作自演的だが、SMによる愛の確かめ方とはそういうものなのかもしれない。
確か原画展には「HONG KONG」だかの札をつけた15歳の少女が、今どこかに売られていこうとしている、というような絵もあった。ところで、中国から現モーニング娘。のリンリンが連れてこられたのも15歳だったはずだ。ジュンジュンやらリンリンやら――当初僕はどうしても「蹂躙(じゅうりん)」という熟語を連想してしまったのだが――の娘。加入というのは、どうしても本人の意思を超えたところで事態が進行したという印象を持たざるを得ない点において、「かわいそう」という感情も少しは僕にあった。だけれども、それと同時に「面白い」という気持ちも生まれるのである。
僕のことを言うならば、アイドルを明らかに消費しているという点について言えば、アイドルに対して申し訳ないという気持ちがなくはない。けれどもそれによってアイドルがアイドルとしていられる、ということにおいて、我々はアイドルを生かしているし、我々もアイドルに生かされている。
それと同等かどうかは知らないけれども、そうした思考を経た上で「娘達への謝罪」というタイトルを見たときに、その気持ちが分からないではないのだ。