2007ハロプロ重大(10大)ニュース

(特に順位はつけず。)今年書いたエントリを振り返りながら。
①相次ぐ不祥事・脱退
「謝れ」なんてどの面下げて言えるものか(http://d.hatena.ne.jp/onoya/20070508/1178650498
『僕はアイドルはある意味では自分の「鏡写し」だと思っている。』
庄司は大事?(http://d.hatena.ne.jp/onoya/20070525/1180119642
『アイドルへの怒りや責任追及が、ヲタの実存的危機をすりかえたものであることが、往々にしてあるのではないか?僕らはただただ「取り残される」のが怖いのではないか?』


とにかく、何が起きたんだか思い出せないくらいに「不祥事」の多い一年だった。それぞれに対して、それぞれのヲタのアイドルの愛し方が問われた。アイドルを断罪するのも愛の一つの形なんだろうし、そこでのヲタのそれぞれの反応を善悪に分類するのはナンセンスか。ただ、アイドルを滅ぼさないというルールに僕は従いたいだけだ。


℃-ute躍進
℃-uteをこんなに好きになれるとは思っていなかったけれども、僕にとっては、アイドルグループの、特に楽曲を中心として醸すイメージが大事だったんだということを認識した。℃-uteが娘。に似ていて、Berryz工房は違う、というのは僕の中ではっきりしていて、Berryz工房のよさも舞台を見て少しは分かるのだけれども、やっぱり娘。イズムの継承者としての℃-ute、というのが僕の中で大きい。
思えば、僕が娘。ヲタになったのも入りは楽曲からだった。そこから矢口推しになった。℃-uteのほうでは、「わっきゃない(Z)」とかアルバム曲が好きで、それで春紺に行って、だんだんなっきぃが好きになって、というパターン。Berryz工房を好きになれないのは、楽曲が僕の趣味に合わなかった、ということなんだろうと思う。
今日、℃-ute日本レコード大賞、最優秀新人賞を獲った。午後9時以降は出られないため、つんくが代理で、としておいて、結局楽屋のほうを映しちゃうのはずるいやり方だけれども、℃-uteヲタからすれば℃-ute愛を深めるいい構成だったと思う。僕は生で見られなかったけれど、メンバーの涙には素直に感動できた。
℃-ute=娘。論(http://d.hatena.ne.jp/onoya/20070912/1189621690
Berryz空間×℃-ute時間(http://d.hatena.ne.jp/onoya/20070915/1189878318
なんか物議を醸す結果になりましたが、上記2つのエントリは僕の中ではまだ有効です。


③虚構化進む(きらり・ロビケロ・Buono!
昨年すでにアニメとのコラボはかなり進んでいたのだけれど、その動きは止まらず。
考えてみると。声優、という存在は、虚構のキャラクターに人間の声をあてているという点で、アイドルの身体性と記号性という両義性と非常に親和性が高い。きらぴかのアニメは見ていないのだけど、しゅごキャラの方にしても、単純にエンターテインメントでありながら、アイドル存在って何?という重い問いを突きつけてくれて、非常に興味深い。
しゅごキャラ!」を読む少女(http://d.hatena.ne.jp/onoya/20071011/1192117730


④エッグを売り出す(新人公演)
新人公演には2回行った。セットリストに惹かれて、だ。
「相対→絶対」のアイドルシステム(http://d.hatena.ne.jp/onoya/20070513/1179194737
覚えてね公演(http://d.hatena.ne.jp/onoya/20070513/1179194736
ジャニーズのようなシステムをハローが追いたいのなら、ジャニーズのジュニアにあたる集団の層を厚くしなければならないし、またマーケティングを兼ねて顔見せ公演が必要なわけだから、新人公演の開催はいかにもビジネスの匂いがしたけれども至極当然のことである。来年またどう動いていくのか。


⑤FCの方針が選民化に進んでいる件(バスツアー・エグゼクティブパス)
どのようにアイドルシステムを永続していけばいいのか、ということには事務所も苦悩しているのだと思う。ハロモニ@SNS王国にも同じことが言えるけれども、1999〜2002あたりの娘。バブルみたいのがなくなって以降、薄利多売よりは「濃利少売」の方向性に行こうとしているのかもしれない。でも、その結果が逆にひとりひとりのファン・ヲタをないがしろにする印象を与えている。来年の動向次第ではファンを大幅に失いかねないと思うが、どうだろうか。
踊り子に触れない倫理(http://d.hatena.ne.jp/onoya/20071104/1194192286


⑥MCの文学性(美勇伝℃-ute紺のMCが面白い)
ハッピーって言ったらハッピー(http://d.hatena.ne.jp/onoya/20070603
私がどこにいるか 〜℃-ute紺MCという芸術作品〜(http://d.hatena.ne.jp/onoya/20070505/1178387301
℃-ute紺MCの仕掛け(http://d.hatena.ne.jp/onoya/20070919/1190227674
アイドルがアイドル自らを相対化すること。または、ヲタに問いを突きつけること。ここ一年でハローの現場での「文学性」とでも言うようなものが深まっている。MCなんてこれまで、アイドルのアイドル性の表現の場以外のなにものでもなかった気がしたのだが。もちろんこちらが過剰に読み込んでいってもいるのだけれど、少なくともそうした読み込みが出来るほどのネタを提供してくれたことが、僕のヲタ活動に彩りを加えてくれた。


⑦ドアップ動画ほか動画コンテンツの充実化
物語の供給源としての動画。ようつべもニコ動もハローの動画に溢れているが、今年のトピックとしてはドアップの存在は無視できない。文化祭の時も、紅白出場決定の時もそうだが、ヲタが語りたい、知りたいと思う旬のタイミングを逃さずに即座に動画がアップされる手際はアイドルビジネスとしてはすばらしいんでないかと思う。初め「おじぎ30度」だけがアップされていた頃に、こんなに充実したサイトになるとは思いもせず。
紅白というメディアとハロプロhttp://d.hatena.ne.jp/onoya/20071204


ハロプロ10周年の動き(記念隊やらモー。10など)
記念隊のライブは見られなかった。「モー。10」も取り立てて面白いというものでもなく、ただハローと自分たちの歩みを確認する儀式みたいなものだった。
10という数字をどう見るか。モーニング娘。(10)と紅白の出場回数が出ることの感慨は僕にもある。過去、マスメディア上に生きる女性アイドルが10年以上もその位置にとどまっていることはほとんどない。もちろん構成メンバーは代わっているけれども、それにしてもその奇跡というものを僕たちは改めて認識しておかなくては、っていうのも、まさにその10年目の今年が「不祥事」にまみれて、アイドルというのはあっという間にいなくなるもんなんだ、という恐怖を僕らが痛感したからである。


⑨イベント・舞台の増加
ゲキハロ、亀戸でのイベ、ガッタスイベ、ディナーショーの類など、細々した催しが増えている。現場が増えるのはいいことだし、距離感も近くてお得なイベントも多い。
そんな中でも、「寝る子は℃-ute」は最高だった。正直に言って、あれだけすばらしかった「リボンの騎士」をはるかに超える出来だったと言いたい。アイドルって、ヲタって何?という問いと真摯に向き合うこと。その後で、僕は℃-uteを改めて愛することができる。
ごまかせ!管理人さん。(http://d.hatena.ne.jp/onoya/20070621
℃-ute舞台メモ(http://d.hatena.ne.jp/onoya/20070625/1182824907


松浦亜弥はやっぱりすごい
11月に松浦紺に久しぶりに行った。
松浦亜弥や(http://d.hatena.ne.jp/onoya/20071104/1194192288
松浦は松浦で、一つのアイドルの理想なんだろうと思う。
そのあとに見たPerfumeもまた、一つの理想なんだろうと思う。
パーフェクトスター(http://d.hatena.ne.jp/onoya/20071108
でも、いろんな形のアイドルを、一つの理想型に収斂させてしまうことはできない、ということも事実であろう。