紅白というメディアとハロプロ

正直、最近紅白を見る気がしない。最近の紅白に関しては、むしろハロプロがどんな技を使って出場するかという事前の動きの方に関心がある。特にここ3年くらいは、人気が落ちたといわれる中で抱き合わせ出場になっており、じゃあ今年は、ということである。AKBやらしょこたんやらの出場がささやかれる中で、別に僕個人の思いとしては紅白に出なくたっていいじゃないかとも思うのだが、腐っても鯛じゃないけど、やっぱり紅白ってのは一つのメジャーである指標ではあって、多くの歌で勝負している人たちにとって大事なものなんだろう。
いい機会なので、これまでのハロプロの紅白出場の歴史を振り返る。以下がそれである。

ハロプロ紅白出場歴
1998 モーニング娘。(初) 抱いてHOLD ON ME!
1999 モーニング娘。(2) LOVEマシーン
2000 モーニング娘。(3) ハッピーサマーウェディング晦日スペシャ
2001 モーニング娘。(4) Mr.Moonlight〜 愛こそがザ☆ピース!
松浦亜弥(初) LOVE涙色
2002 モーニング娘。(5) ここにいるぜぇ!そうだ! We're ALIVE 2002 Ver.
藤本美貴(初) ロマンティック 浮かれモード
松浦亜弥(2) Yeah!めっちゃホリディ
2003 モーニング娘。(6) Go Girl〜恋のヴィクトリー〜
後藤真希(初) オリビアを聴きながら
松浦亜弥(3) ね〜え?
2004 モーニング娘。(7)・W(初) 2004年 愛・涙・キッス紅白スペシャ
後藤真希(2)&松浦亜弥(4) 冬の童謡〜メリークリスマス&ハッピーニュー2005年〜
2005 松浦亜弥(5) & DEF. DIVA(初) モーニング娘。(8)
気がつけば好きすぎて♪盛り上がって♪LOVEマシーン!
2006 GAM(初)&モーニング娘。(9) Thanks! 歩いてる 2006 Ambitious バージョン


そして今年。
2007 ハロー!プロジェクト10周年記念紅白スペシャル隊
モーニング娘。(10) Berryz工房(初) ℃-ute(初)


娘。が「本体」と言われて久しいと思う。いつから呼ばれていたかは定かでない。ただ「本体」と言われるからには、「本体」ではない勢力が存在感を持ってからのことだろう。2004年以降、本体のみでは出場できなくなった娘。の凋落を語るのはたやすい。例えば新曲のセールスで、娘。とベリと℃-uteがほぼ肩を並べたという事実を挙げれば十分だ。
けれども、何か違うと言いたい。そして、それとは別に、こういう抱き合わせで出すことをネタ的に楽しむということもまた何か違うと今日は言いたい気もする。まったく論として体をなさないことを承知の上で、ここはその歴史にただただ感服しておけばいいんじゃないのか、ヲタだったら。
…と言いつつ、たぶん紅白はほとんど見ないだろうなあ。


さて、それも大事だがBerryz工房℃-uteの初出場である。ドアップにさっそく動画が載せられている。いかにも「事務所」といった風の場所で安っぽく映された動画は、素の「本当の」ベリキューを映し出しているかのようである。お仕事を楽しくがんばっているんだなあ、と素直に信じさせてくれる心地いい動画になっている。僕はそれに乗っかる。(なっきぃがかわいいのは言うまでもない。)
僕はドアップってのはある意味ではASAYANイズムってのを引き継いでいるんじゃないかという気がする。いまテレビで流すほどでないどうでもいい動画(実はそれが面白いのだが)を流しているドアップとかバークスだとかってのは、ベリとか℃-uteをグループとして応援したいヲタにとってはいい物語供給源であろうと思う。テレビから、ネット動画やら、DVD、ラジオへと物語の担い手が移り代わる中での、今回の紅白出場お祝い動画は、まさにその動画そのものの魅力によって、紅白出場のなにかふさわしくなさをも示してしまっている気がする。CDの売り上げやらテレビの露出が多かった頃の娘。の紅白へのふさわしさ。逆にマスの少し周縁部に存在するベリキューの紅白出場という違和感。
ただ逆もまた言える。紅白が「紅白」というイメージから逸脱するということ。しょこたんとAKBを出すこともまた、紅白が何かを妥協していることを表している。メディアというものの変質。盛り上がっているのがどこか、という問題。
CDの売り上げが落ちていることを嘆く人々は、何か決定的に見誤っているような気がしてならない。売れないから他に移る、というネガティブな捉え方は一面的でしかない。CDじゃなくてシングルV・DVDへ。アイドルは確かにその「現れ」こそが問題になる存在ではなかろうかと思う。いやもちろん、声だけでも魅せるってのもあるかもしれないけど、顔も声も知覚できた方がなおいいし、どちらかと言えば、アイドルの多くはやはり顔(や身体)で魅せるのだ。ハロの生写真の需要の高さはそれを端的に示す。
結局何が言いたいのかというと、今年改めて動画の重要性を感じたということなのだ。たぶんそれが言いたい。そしてまたそこから逆に問いたいのは、そもそもなんでアイドルは歌を歌うのか、ということなのだが、その必然性・必要性はもちろんない。だからハローが音楽から離れたっていいわけなのだが、それを僕は望まない。その理由を僕は説明できない。同じように僕はライブのどこが楽しいのか説明できない。おそらくそれらは言語の範疇から外れる、大仰に言えば宗教的な領域なんだと思う。説明できなきゃ、感覚的に「わかる」しかない。それでいっか、と思う。