「倫理」という語

マナーについて。http://hellopro-koutei.cocolog-nifty.com/ura/2007/11/post_bdcf.htmlも読んで。
僕は最近アイドルって現象の存続が危いことからことあるごとに「倫理」とかいう語を使っているが、これは必ずしもヲタの枠を超えた社会におけるマナーには適合しないものだ(最近は意図的に「道徳」という語は使わないようにしている)。あくまでアイドル現象を存続させ、また自分を含むヲタ(またはとりあえず自分)がアイドル現象をより楽しめるようにあるべき規範を「倫理」と呼ぶだけであって、別にいい子ちゃんを装いたいわけではない。例えば今回の握手会においては、「歩きながらの握手にご協力ください」に協力できるわけがないのであって、流されながらでもなんとか粘ってやる、極論を言えばそのせいで次のヲタの握手時間が短くなろうがあまりそこは構わないと思っている。そのくらいは戦いだという意識を持っている。
通常のライブであっても、好んで通路席を取る僕は、しばしば係員に中に押し返されるけれども、そこは戦い。大人しくしているわけにはいかない。周囲のヲタが構わないならヲタ芸も打ちたい。
僕における「倫理」は、「アイドルとヲタの幸せな関係が続くための規範」であって、それ以上のものではない。だからヲタが直接的にアイドルの存在を脅かすのでない限り、どんなヲタの行動も問題ない(あるいは僕にとっては関心の外)と基本的には考えている。
家の中でどんな妄想に耽ろうとも、たとえばポスターのアイドルの唇のところだけ若干汚れていたりとかってのはむしろ当たり前なんじゃないのとか思うわけだが。(なっきぃに関しては適当なサイズのポスターを持ち合わせていないのだった。)
というわけで、僕は欲望に渦まみれた中から、アイドルとどう付き合うかという作法を考えていきたいと思っている。決して机上の空論にしないために、僕は極力現場での感覚を大事にしている。今日御堂会館に行ったら、「やっぱりヲタってバカだよな」って思った。確かに僕は理想として、「バカであるという認識から始めるヲタの倫理」から「たわいもない存在であるという認識から始める人間の倫理」っていうところまで話を持っていきたいというたわいもない夢みたいなものを抱いてしまっているようだ。僕はアイドルが人間の比喩だと思っているから、アイドル現象にまみれることで、どうしようもない人間である僕が少しはまともに「人間」とか「愛」とかについて考えられる人間になるんじゃないかという期待も少し持っている。(これに関連して僕は「<個>からはじめる生命論」(加藤秀一著)から何か学べそうな気がしている。「生命」という普通名詞ではなく「誰か」から生命論をはじめようとする態度を、僕がなんとか「固有名詞」としてアイドルを愛したい、ということとリンクできるか?)
でも、でも僕は普段はなっきぃのことを中心に考えて、一日の最後はなっきぃとおやすみのちぅだったりする(のかもしれない)。