本当はこう思っている

土曜の朝に初めてアニメのしゅごキャラ!を見る。本編はともかく、CMが興味深い。まあ予想通り関連グッズ・玩具のCMばかりだが、そこにおいても、「ほしいわけないじゃん」「ほんとはほしいのに!ほしいよほしいよ!」というつくり。
僕はこの前少し考えたハロショの写真のことを思う。写真をなんで買うか、いろいろと卒論でも考えたけれども、正直、自分が買ってきた理由もよく分からない。理由を言語化しようとした途端に失われるものもあるように思えるし、説明をしようとすると自分の立ち位置からの自己弁護に走ってしまうおそれもある。ともかく、僕は過去、矢口真里の公式写真をほとんど買っていたが、それはハロショに行って、新しい写真を見て、いいなと思って買うというより、「買うことになっているから買う」というべきものであって、それ自体に理由はないように思われた。僕は矢口写真を「ほしい」と思って買っていたのではなく、むしろ、買ったという行動から、ほしかったんだということが遡及的に分かる、という逆の過程をたどっていたような気さえする。これは今思えば結構怖い。自分の意志より行動が先行し、ほんとうは自分はこう思っていたんだ、と気づく。ただ、仕組みを整理するなら、まずはじめに潜在的に「アイドル世界の規範」(写真は全部買え)があって、それにしたがって買うという行動が起き、その後「欲しいという気持ちがあったんだ」と思い直す、という過程であったように思う。
表層心理上は別に欲しくないはずのものを買ってしまうことで、「本当は欲しかったんだ」と思うという精神状態は健全とは言いがたい(?)。丁度「ホントのじぶん」を追い求める少女のように。深層心理ではほしいほしくないとは全く別の規範が働いていて、それに従って行動が起こる。先鋭的な新宗教なんかも、そういうしかたで信者の行動を統制していたりするが、今思えば、当時の僕もなんだか「正常な」判断を欠いてグッズを買い漁っていた気がする。その商品そのものの機能だとかなんだとかではなくて、買うという行動にともかく駆り立てられていた。昔着信があると匂いを発する携帯ストラップがあったが、あれなど本当にちゃんと使った人はいるのだろうか?
で、じゃあ今自問自答してみよう。「大阪にイベントのためにだけ遠征してすぐ帰ってくるという判断は正常か?おまえは本当にそれをしたいのか?」…いやー、「とりあえず、行くと決めちゃったからね。」