複数の視点・視線が生む複雑な感情

「複雑な感情」とやらに我々が見舞われてしまうのは、我々がどの立ち位置から、どこへ向けて視線を放っているのか(ページ上の図)によって感じ方が様々だからです。多くの人が、「我々の現実的観点からアイドルの現実的な側面を捉える(視線①)」により、「ひとりの少女が幸せになる」ということを祝福する(または祝福するふりをする)一方で、「我々の虚構的観点からアイドルの現実的側面を捉える(視線④)」により、「アイドル辻にあるまじきこと」として非難やらショックやらといった反応をする、というのが一般的である。この2つが混ざることで「複雑」な感情と人は言う。
では僕は一体どんな感情だったかというと、簡単に言えば、「信じられない」ということである。これは比喩でもなんでもなくて、改めて僕は辻を虚構的存在だとする信念があったのだ、と思い知らされたのだ。多分「信じる」という言葉の用法を哲学的に吟味した結果としても正しいと言える自信があるが、僕は「辻には性器がない」と信じていたし、「辻とセックスは相容れない」と信じていた。僕にとっては「辻が妊娠」というのはほとんど論理的矛盾に近い。想像することが可能性のレベルですらできない。もう少し穏やかに言うなら、感覚としては、あるマンガの世界観を崩すような二次創作を見たような気分。「それは嘘だろ」ではなく「それは違うだろ」という感覚。だから、素直な感覚として「おめでとう」は僕にはありえなかった。
これは完全に辻の偉大さによるものだ。それほどまでに虚構的キャラクターとして完成されていた辻希美はやはり奇跡だったのだ。
ついでに、この「辻の妊娠」を「虚構的側面」として捉えられるか、ということを考えてみる。例えば、「我々の虚構的観点からアイドルの虚構的側面をとらえる(視線③)」であれば、「虚構のキャラクターなのに(セックスしないのに)子供ができちゃう、だからののたんは奇跡!」という持っていき方、これはいくつかのテキサイの方々のコメントの中に近いニュアンスのことが書いてありました。「我々の現実的観点からアイドルの虚構的側面をとらえる(視線②)」となるとかなり難しくて、「虚構のキャラクターなのに(セックスしないのに)妊娠しただって?そんなわけねーだろ」という無理な例しか思いつかない。いずれにしても、「アイドル」と「妊娠」はほとんど共存不可能なので、「セックスしないのに」みたいな無理な前提を持ち出さない限り虚構的観点からとらえていくことはできそうにない。