身体性×記号性

僕は先日、「辻が人間でもある」ということを認識の上では妥協して受け入れた(感覚的には無理なんだけど)。
「人間としての「現実」が、アイドルとしての「虚構」に決定的な悪影響を与えなければ、アイドルである人間は「現実」において何をしてもいい」というのがアイドルという存在を守っていくための大まかな倫理であるとするならば、「妊娠」というのは明らかにアイドルとしての容姿に決定的な影響を与えるものであるから、好ましくない。これはつまりアイドルの「身体性」の問題である。
「現実」と「身体性」、「虚構」と「記号性」というキーワードにそれぞれ親和性があるなら「妊娠」のような「身体性」がありありと浮かび上がってしまうものはどうしようもない。それがただ「太った」ならいかようにも「虚構」側でも解釈がきくのだが。
ただ、先ほどの視線の話とも絡むが、辻だったら、「虚構」「現実」の垣根も取っ払ってすげーことやってくれるんじゃないか、とも思うのです。どういうことか。「辻のアイドル性が、「妊娠」も「結婚」も「辻色」に染めて、僕らヲタまでほわほわさせちゃうような事態になるんじゃないか」という淡い希望である。少なくとも辻が「タレント」を続けるのだとしたら、辻の子供を見ることも、辻が子供を抱く姿ももしかしたら見られるかもしれない。そしたら、それはそれで「すげー辻」だし、「辻すげー」ってことにもなるんじゃないだろうか。「「記号的存在」が「身体性」を獲得していく奇跡を目の当たりにする」と言ったら言い過ぎだし、滑稽と思われるかもしれないが、そう言いたい。