恋愛からアイドル現象を相対化する

恋もヲタクも全力投球といきたい斧屋ですこんばんは。
さて、アイドルへの執着が擬似恋愛である、などと言う向きもあるようですが、一体に恋愛とアイドル愛がどう違うのか、ようやく体感できてきたので書き記してみたいと思います。
恋愛をちゃんと始めて(つーか久しぶりに恋愛をして)思うのは、①恋愛をメタ化する視点を持つことが極めて難しいこと、②恋愛が双方向的コミュニケーションであり、どう思われているかという恐れが常につきまとうこと、がヲタと違って面白いな、ということです。
どちらも、そこに厳然と、濃密な他者がいる、と、そういうことなのだと思います。


①恋愛をメタ化する視点を持てない
ヲタと恋愛、むしろ恋愛がこんなにも脆弱な、不安定な地盤の下に進むものだとは。少しでもメタ化した瞬間に崩れ去るような不安がある。逆に、ヲタと比べ、濃密な身体性の濃度。これが恋愛体験をメタ化する契機を失わせる。メタ化とはともかく不信仰の証である。恋愛は、お互いの不信仰の不安・恐怖を消し去らなければ耽溺できない、または、耽溺することによって不信仰・ディスコミュニケーションの可能性を消去しようとする。ともかくベタにベタに、身体性もべったりと距離を0に近づけていかなければいけない。おかげで、ベタベタなエイベックスの曲が普通に聴けそうな自分が生まれつつあることに驚く始末だ。
ヲタは普通アイドルを相対化する視点を持っている(僕はそれを持てない人間をヲタと呼びづらい)。例えばトレーディンググッズにおいてアイドルを交換価値の下に配置し、あるいはオークションにおいて人気の度合いを測ったり。そうした相対化の視点を持ちながら、アイドルに耽溺する、メタとベタの往還にこそヲタの特質があると言ってよい。


②恋愛が双方向的コミュニケーションであること
ヲタだって双方向的ではないか、と、僕もそう思うのだが。恋愛において、向こうからの愛を確かなものとする根拠を求める志向性が圧倒的に強い。相手が自分を、少なくとも自分の相手への愛と同等以上に愛していないと不安、という気分。どう思われるか、という不安。
基本的に、こうした不安からヲタは解放されているように思える。アイドルはヲタを基本的に全肯定する。全肯定とは、実はコミュニケーションではないのかもしれない。こちらからの問いに、常に答えがYESであったら、それをコミュニケーションとは言えまい。あるいは疲弊する残念な握手会の場合のように、アイドルが「ありがとうございます」の連呼に終わってしまう場合を考えてもよい。アイドルとのコミュニケーションが一方的であること。少なくとも、レスが、反応が返ってこようとも、彼女が自分をどう考えているかについて四六時中悩む必要は無いということ、ここにおいても恋愛とアイドル愛との濃度の差を厳然と感じる。