写真取捨選択

イベント後に有名なハロプロのグッズ屋でなっきぃの写真を買う。写真を選びながらなぜ写真を買うのか自分に問うてみても仕方がない泥沼にはまることに気づく。
全てを買うわけではないのだから、そこでは取捨選択をしている。写りのいいもの、ポージングの善し悪し…よりよいものを買おうという消費者目線ははっきりと存在する。だけれども、買うと決めた写真は、「かわいいから買っちゃった」と言ってもいいものである。もう少し言えば、かわいいから抗いようもなく「買わされた」のだ。思い出せば、僕も買おうと決める瞬間の自分の気持ちは、「買っておくか」という感覚である。もともと基本的には実用的なものではないのだから、そこには論理を超えた力が働いている。そういう意味では「信仰の証明」、悪く言えば「信者のノルマ」と言ってもいい。能動性と受動性が判別不能になる奇妙さがある。
困ったことは、自己分析をしながら写真を買おうとすると、普段の「主観」なるものがすり抜けて捕捉不能になってしまうように感じること。体験を記述することの困難。