捨身アイドル

コンビニで「BUBKAゴールデンベスト」を立ち読み。
http://www.machineworks.co.uk/whg/2007/11/ufawwwww.htmlも参照のこと)
「生写真とは何か」というのはハロプロにおいては結構重要な問題だ。ハロショにおいても、ツアーグッズにおいても、生写真の占める割合の高さは際立つ。
僕も卒論のためのインタビューで写真を買うことをどうとらえるかを聞いて、「DD」はコレクター心理、所有欲、「マジヲタ」は信仰の証、複数買い、または消費したくないので買わない、とか、いろいろな立場がいて面白いなと思ったものだ。
宇多丸氏や掟氏は、写真でのみ存在する2.5次元のアイドルこそアイドルの最新型であるかのように冗談めかして語るが、確かにアイドルとの距離感という問題を考えるときに、「写真」は興味深い題材だ。アイドルが夢を与える職業であるというなら、(夢を可能性と言い換えていいなら、)写真は十分に夢を与えるだろう。写真でしか存在しないアイドル、その写真における現れ以外は全てヲタ側の想像にまかされ、ただなんとかその想像を補完しようと新しい写真を次々に買い込む。座談会の中では虚構アイドル「芳賀ゆい」も話題として出てきたが、彼女に握手会等の現場があったことと比べれば、「写真」でしか存在しないアイドルに現場はない。したがって身体性がない。したがってリアルタイムの現象でなくてよい、ということにもなりそうである。どちらかというと、マンガの連載に似ているかもしれない。会うことができない、という点では二次元のヲタに近くなる。だから2.5次元か。
僕は完全に現場主義なので、さらに言えば最近は生写真をほとんど買わないので、こうした2.5次元アイドルがどの程度有効かよくわからない。けれども、現場に行かないでネット上やハロショだけにしか行かないヲタもいるのだろうから、2.5次元アイドル戦略はそれなりに可能性として考えてみてもよさそうである。そうすれば、アイドルの身体への負担は軽減されるだろう。
ただもちろん僕は「写真アイドル」なんてものを推すとは思えない。それが貨幣で交換可能なモノであり、人間が商品と化すあからさまさに耐えられない。(ごくたまにだったとしても、)ただひとつの固有名詞としてもアイドルを愛したいと思ったら、現場に行くのがベストだ。