アイドルを守るための倫理

さて、私の発表内容。せっかくなので、当日の発表内容より濃くします。
前半は、http://d.hatena.ne.jp/onoya/20070405の内容をほとんどとってます。

アイドルとは? 
基本認識:アイドルとはある人間でもあり、ある人間を超えた現象として、超越的存在(神)でもある。であるから、過度の人間扱いあるいは神としての崇拝はアイドルを滅ぼす。

ハローをめぐる、アイドルから見た、アイドルとして生きるときの倫理の問題
①アイドルになりたくてなったのかという問題
例)矢口・初期娘。
モーニング娘。の成り立ちが、ロックボーカリストオーディションであったことからも分かるように、そもそもモーニング娘。はアイドルではなくて歌手を目指す女の子を集めたものだ。彼女達はメディアと時代に操られるようにアイドルに仕立て上げられた。決してアイドルになりたくてなったわけではない。
自分で選んだ判断に対して責任を負うというのは理解できる話だ。しかし、アイドルという道を主体的に選んだわけでもない彼女(ここでは矢口を念頭に置くが)に対して、どこまで責任を問えるのかってのは、もうちっと繊細に語ってもいいんじゃないかと思う。もちろん何年もアイドルを職業としてやっている以上、もともとしたかったかどうかなんてことは問題にならないと考えることもできる。けれども、僕には彼女に対して時代錯誤的な「アイドルとしての倫理」を求めることこそ、非人道的で責められるべきことのような気がするんだよなあ。

 
②アイドルになりたいとして、どこまで覚悟できるのか
4期以降の娘。およびハロメンに関しては、大方「アイドルにあこがれてなりました」と言ってしまっていいと思う。のだが、メディアリテラシーもなにもあったもんじゃない普通の少女がアイドルの闇の部分を知るわけもなく。人一倍欲望が強い けれども何にも知らないいたいけな少女に、突然普通の人間でなくなる覚悟を求めることができるのか。
そういうある種のプロ意識なるものは、ある程度経験を積んだ後でなければ身につかない。しかし皮肉なことに、大体そんな風に覚悟ができたころには、アイドルとしての旬の時期は過ぎてしまっていることにもなる。アイドルの多くが、純粋さ、若さを売りにしている以上、覚悟やらしたたかさってのを同時に求めることはかなり厳しい。
アイドルには覚悟が必要だ。だけど覚悟ができて、慣れちゃったアイドルは「つまらない」。


③アイドルになりたいとして、それは手段か目的か。
「……ある日突然出会った男の子に一目惚れ。その男の子が超人気アイドルユニットのひとりと知ったきらりは、近くにいたい一心で、アイドルを目指すことに!!……」
アニメ「きらレボ」のストーリー紹介にこうあります。
少なからぬ女性アイドルが、こんなもんではないのだろうか。芸能界という華やかな世界にあこがれて、アイドルになる(「純粋にアイドルになりたい」ということはどのくらいありうるのか?)。手段としてのアイドル。例えば、今雑誌のグラビアを飾る水着姿のアイドルの多くは、その後グラビアを卒業して女優になることを夢見ているだろう。あるいは、当初の娘。のように、歌手になるための準備期間として捉えているアイドルもいるだろう。いずれにしても、アイドルを通過点として捉えるなら、アイドルでありつづけることの必要性はないし、未練もないだろう(果たして、松浦がもう一度「アイドル」であろうとするだろうか)。
そんなモチベーションのアイドルに対して、「アイドルの倫理」を求めるには無理がある気がする。まして華やかな世界にあこがれて入った芸能界だとしたら、禁欲的に振舞えなんて、無理無理。
ただ、逆に言えば、アイドルであることそのものを目的としているかのように見えるとき、アイドルは輝く(例えば今の℃-uteだ)。


④アイドルになりたかったとして、いつまでアイドルでいられるのか。
手段としてのアイドルではなくて、アイドルそのものにあこがれてアイドルになったとしても、いつまでアイドルでありつづけるかという問題がある。アイドルは貴重な経験であるとは言え、いつまでもアイドルでいたいと彼女たちが思うわけでもないだろうし、現実的にずっとアイドルでいられるわけでもない。
アイドルの輝きつづけられる期間は、普通三年くらいとかよく言われるが、それは消費者側の事情でもあるだろうし、あまりの精神的肉体的負荷にアイドルが耐えつづけれらないという事情もあるだろう。
そういう現実があるのなら、ある程度やり切った感が出た時点で卒業というシステムをとる娘。ってのは、人道的な措置がなされていると考えてもよい。僕はまだ松浦亜弥にもアイドルであることを強いたいのだが、楽曲によって松浦がアイドルを卒業したことを示し、支持層を変えていくというのは、松浦にとってはおそらくよいことに違いない。



アイドルは生きにくく、寿命は短い。娘。が10年目を迎えることは奇跡に近いということを認識すべき。
ちなみに、じゃあアイドルはどのように辞められるか


1.スキャンダル   辻加護・村上・藤本   (逆にこれが戦略的である可能性)
                       「こうすればやめられる」
2.歌手転身     松浦       才能あってこそ。
3.フェイドアウト  保田・飯田?   人気が低いことが条件

2006〜7にかけて、1が多発した。
10年目を迎え、アイドルの身体性をどう捉えていくかが問題
→ 新しいアイドル像を模索せよ。



新しいアイドル像
①低年齢化(・マイナー化)  
   例)℃-ute・AKB・おいも屋本舗
     +面:距離が近い・スキャンダルの可能性が低い
     −面:性的搾取・寿命が短い


試論:U15アイドルシステム:アイドルの年齢を大体12〜15の中学生あたりまでのおよそ三年間に限定する。期間を限定することで、精神的身体的負荷にも耐えうる。また、中学生という、恋愛においての禁欲性を保ちうる時期に限定することでスキャンダルを防ぐことも容易になる。一方、ヲタとしても、身体的成熟がされきっていない、「性的でない身体」を愛でた方が、より安定した閉じた世界にいられる。どうしても身体的成熟が進むにつれて、「水着写真集」とかいうエロの要素が割合を増し、際限のないエロ競争に巻き込まれてアイドルが失速するおそれが出てくる。アイドルの「少女性」を愛でても、「女性性」を排除することで、「萌え」の世界に安住できる、はず。もちろんこのシステムでは、ヲタには、15歳を過ぎるアイドルを喜んで送り出していく礼儀が必要になる。


②虚構化
   例)辻・小春・道重・嗣永・Perfume・アニメ
     +面:身体性からの解放
     −面:人間性の忘却


③本格化
   例)松浦・舞台への出演
     +面:長生き
     −面:アイドルとしての魅力はない


④エロ化 
   例)後藤・美勇伝?・水着写真集
     +面:本能に訴える・短期的には売れる可能性
     −面:短命・アイドルの権威を失墜



やはり①②がメイン。→身体性から逃れる方向性
成功例: ℃-ute → 低年齢(期間限定)          
     嗣永  → 自律性(奇跡的に自ら萌えをコントロール)≒中川翔子
     久住  → 現実と虚構のバランス、ディズニーランド方式(アイドルの負担を減らす分業体制)

☆アイドルを守るために、期間を限定するか、仕事量の負担(イメージの負荷)を減らすか。それによって新しいアイドル像がうまれてくるだろう。



↑レジュメはこんな感じで終わったんですが、議論は専ら嗣永のすごさに終始してしまった。確かにそこは重要だ。自ら萌えをプロデュースする。そうしたメタ的な視点を持った天才がアイドルになってくれたら、とは思う(涼宮ハルヒの憂鬱も萌えに自覚的だよね)。だけど、そんな天才はなかなか出てこないのだ。タイプは違えど、僕が奇跡と呼べる存在は、ハローでは辻・松浦・嗣永だけだ。それに依存しているだけでは、アイドル界は不毛の地になってしまう。では、低年齢の方へ持っていくか、虚構化へ進むか。それを考えるためには、U15アイドルやら、Perfumeやら、周辺事態を理解していくことも必要となろう。